橋田壽賀子が死去、享年95。急性リンパ腫で闘病、泉ピン子が最期の様子明かす。渡る世間は鬼ばかりの脚本家が他界

訃報
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橋田壽賀子

人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ(TBS系)などを手掛けた脚本家・橋田壽賀子さん(はしだ・すがこ 本名=岩崎壽賀子)が、4日に亡くなられていたことが分かりました。95歳でした。

各報道によれば、橋田壽賀子さんは今年2月下旬から、「急性リンパ腫」の治療で東京都内の病院に入院し、3月に自宅がある静岡県熱海市内の病院に移って治療を続けていたそうですが、3日に自宅へ戻り、4日午前に亡くなったとのことです。

通夜・告別式やお別れ会などについては、橋田壽賀子さんの遺志に従い行わないそうです。

橋田壽賀子さんの訃報を受けて、公私ともに親交が深かった女優・泉ピン子さんはコメントを発表し、「昨日意識がなくなったとき、『ママ』って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行く時、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。」と、最期の様子を明かしています。

最後に、「今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のように可愛がっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。」との思いを綴っています。

<↓の画像は、泉ピン子さんと橋田壽賀子さんの写真>
泉ピン子と橋田壽賀子

橋田壽賀子さんは早稲田大学文学部に在籍中から演劇の執筆を始め、1949年に『松竹』の脚本部に所属し、松竹初の女性社員となり、1952年公開の岸恵子さん主演映画『郷愁』で脚本家デビューを果たしました。

その後松竹から独立してフリーの作家として活動し、1964年放送のドラマ『愛と死をみつめて』で脚本を担当し、1980年代にはNHK大河ドラマ『おんな太閤記』『いのち』『春日局』、NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『おしん』、1990年以降には朝ドラ『おんなは度胸』『春よ、来い』、『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ、『なるようになるさ。』シリーズなどの脚本を手掛けました。

一方のプライベートでは、1966年5月に当時TBSのプロデューサーで4歳年上の岩崎嘉一さんと結婚しましたが、岩崎さんは1989年9月に「肺腺ガン」によって60歳で亡くなりました。

橋田壽賀子さんはこれまでに数多くの名作を生み出してきましたが、「一流の脚本家は山田太一、倉本聰、向田邦子。私は二流」と謙遜するなど、控えめな性格で、そうした事で多くの俳優たちからも慕われ、“橋田ファミリー”を形成しました。

そんな橋田壽賀子さんの突然の訃報を受けてネット上では、

  • 先生まで遂に…ピン子さんとは公私共に名コンビでしたね。芸能界も訃報が続き寂しい限りです。たくさんの作品をありがとうございました。
  • 橋田ドラマは日常を切り取った面白いドラマ、壮大な一代記、どれもセリフ回しが上手く、楽しませていただきました。
    この手の脚本家はもうなかなか出ないと思うと残念です。
  • 泉ピン子さんと旅に行く番組やぴったんこカン・カンとかで、飾らない橋田さんが好きでした。たくさんの作品を世に残してくださり、ありがとうございました。
  • 田中邦衛さん、橋田寿賀子さん。日本を代表するドラマ人がまた去っていきました。とてもさみしい。安らかにお休みください。
  • 昭和から平成初期のテレビドラマを彩った方が相次いで亡くなり、昭和が遠くなってしまい寂しさを感じる
  • 渡る世間は鬼ばかり、親と一緒に第一シーズンからずっと見ていました。時代の流れを汲み入れたドラマで、主人に嫁姑問題を理解させるために見せたこともあります笑
    まだまだ続きが見たかったのが本音ですが、、、橋田壽賀子さん、今まで本当にお疲れ様でした。

など、死を悼む声が続々と寄せられています。

橋田壽賀子さんは歳を重ねてもパワフルに様々な活動を行っていましたが、2019年2月には、趣味だった豪華客船の旅の途中に体調不良を訴え、ベトナムの病院に救急搬送されるトラブルがあり、病院では食道と胃の繋ぎ目の粘膜が破れ、出血症状を引き起こす「マロリーワイス症候群」と診断されました。

幸い、手術をするほど深刻な状態ではなく、日本の病院で治療を受けて無事退院となり、その後も何度か体調を崩すことがあったと週刊誌『週刊女性』の連載で明かしつつ、その後も豪華客船に乗って海外を回るなどしていました。

ただ、橋田壽賀子さんは2019年末に『週刊新潮』のインタビューで、「人に迷惑をかけてまで生きたくない」と語り、何も楽しみが無いなかで生きるぐらいならば安楽死したいとの思いを明かしていました。

そう思うようになった理由として、80歳手前で「狭窄症」を患ったことを挙げており、2度の手術を受けて症状が回復したものの、この病気をきっかけに終活を始めたといい、「延命治療はしないでほしい」「葬式や偲ぶ会はせず、死んだことも誰にも知らせないでほしい」などと遺言書に記していることも告白していました。

年齢や様々な病気などによって以前から死を覚悟し、終活をしていることも明かしていた橋田壽賀子さんですが、橋田さんは90歳を超えても非常に元気だったことから、突然の訃報には非常に驚きました。

そして、橋田壽賀子さんの代表作である『渡る世間は鬼ばかり』シリーズの続編、新作がもう見られないというのは残念でなりませんが、どうかあの世でゆっくりと休んでほしいです。

橋田壽賀子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

参照元
  • https://www.sanspo.com/geino/news/20191114/geo19111412290025-n1.html
  • https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/04/05/kiji/20210405s00041000336000c.html
  • http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4238772.html
  • https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01120558/
  • https://www.jprime.jp/articles/-/13353
3件のコメント↓コメント投稿
  1. 1
    匿名
    ID:ZjI2M2NjZm

    「渡鬼」シリーズ好きなドラマでした。
    「渡鬼」追悼特番放送してほしい。
    お悔やみ申し上げます。

  2. 2
    匿名
    ID:OTY5ZDZkND

    長生きしましたね
    お疲れさまでした

  3. 3
    匿名
    ID:M2JhMzFlND

    喜んでる人は多いと思う。性格が悪かったから。「飼い犬に手をかまれた気分」は忘れられんわ。

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