元横綱で、大相撲力士を引退後はK-1や総合格闘家、プロレスラーとして活動していた、アメリカ・ハワイ出身の曙太郎さん(あけぼの・たろう 旧名=チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)が、亡くなられたことが分かりました。54歳でした。
各報道によると、今月に入って体調が急変し、曙太郎さんの死因となった病名は「心不全」で、告別式は家族のみの密葬で営まれるとのことです。
曙太郎さんは2017年4月に、プロレスの試合出場後に心臓の病気「急性心不全」を発症し、一時は心肺停止状態となりましたが、一命は取り留めました。
しかし、約40分にわたり心肺停止状態が続いたことにより、その後遺症で重度の記憶障害(過去5年ほどの記憶喪失)などが残り、そして歩行困難な状態となり、その後も入院生活が続き、亡くなる前まで東京近郊の病院に入院していたとのことです。
<↓の画像は、急性心不全で入院後の曙太郎さんと家族の写真>
そして、今月に入って体調が急変し、妻のクリスティーン・麗子・カリーナさん、母親のジャニス・ローウェンさん、来日中だった長男・コーディーさんら家族に見守られながら息を引き取ったそうなのですが、曙太郎さんの突然の訃報を受けてネット上では、
- やっぱり力士は短命だな。。。
- 長生きはそりゃ無理だったろうけど悲しいな 合掌
- お相撲さんは短命の人が多いけど54歳は早すぎだよな
- 小錦はまだ元気なのに曙は逝ってしまったか…若貴曙武蔵丸の時代は良かったなぁ
- 若貴のライバルとして大いに相撲を盛り上げてくれたことは忘れんよ ご冥福を祈ります
などの声が上がっています。
曙太郎さんはアメリカ・ハワイ州のオアフ島出身で、ハワイの大学を中退後に同じくハワイ(マウイ島)出身で、元関脇・高見山の元東関親方・高見山大五郎さん(79)に見込まれて相撲界入りし、18歳で初土俵を踏みました。
その後は、若乃花と貴乃花の若貴兄弟らと共に大相撲を盛り上げ、1992年に大関、1993年には横綱に昇進し、1996年には日本国籍を取得しました。
横綱として活躍を続けましたが、ひざのケガに悩まされて2001年に現役を引退し、通算成績は654勝232敗181休。幕内優勝11回、三賞6回、金星4個となっています。
相撲を引退後はキックボクシング、総合格闘技、プロレスに挑戦、2003年にK-1デビューした際には、同じくアメリカ出身のボブ・サップさんと対戦し、結果は1ラウンドKO負けとなり、うつ伏せ状態でリングに倒れ込んだシーンは『NHK紅白歌合戦』の視聴率を上回るほど大きな注目を集めました。
<↓の画像は、相撲引退後の曙太郎さんの写真>
その後も2015年大晦日に総合格闘技イベント『RIZIN』でボブ・サップさんと再戦しましたが、判定負けとなっています。
<↓の画像は、2003年のK-1でボブ・サップさんと対戦時の写真>
格闘家としては良い成績を残せませんでしたが、急性心不全で倒れる前まで格闘技やプロレスを続け、そして病気の後遺症によって記憶障害が残り、歩行困難な状態になりながらも気力を失うことはなく、病気発症から1年後の2018年3月に、入院先の病院でスポーツ紙の取材に応じ、「リングに上がれないから夜も眠れない。仕事に戻らないと。プロレスに」と語っていました。
それから半年後に放送された『今夜解禁!ザ・因縁』(フジテレビ系)では、元ライバルの元横綱・若乃花の花田虎上さんと病室で対面し、笑顔を見せながら会話したり、曙太郎さんと親交が深かったタレント・山田邦子さんがお見舞いに行った際にも、「リングに立ちたい!」と言ってリハビリを頑張っているとしていました。
それだけに、再び心不全を発症し、54歳の若さで亡くなられてしまったのは残念でなりません。
曙太郎さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。