『昭和のいる・こいる』昭和のいるが死去、死因の病名も公表。ガンで相方が亡くなり、約3年半後に旅立つ
大ベテラン漫才コンビ『昭和のいる・こいる』のツッコミで、『漫才協会』の副会長を務めていた昭和のいるさん(本名=岡田弘)が、24日に亡くなられていたことが分かりました。88歳でした。
<↓の画像が、昭和のいるさん>
所属していた『落語協会』の発表によると、昭和のいるさんの死因となった病名は「肺炎」で、最期は妻に看取られて24日19時45分に息を引き取ったといい、最後の寄席は2013年7月の浅草演芸ホール公演だったとしています。
昭和のいるさんの訃報を受けてネット上では、
- のいるこいるのしゃべくり漫才はホント面白かった。合掌
- 昭和のいる・こいる、大好きでした。お馴染みのパターンなのに、なぜかいつも笑ってしまう、これぞ話芸なのでしょうね。
お二人、仲良く天国で適当な相槌打ちながらおしゃべりに花を咲かせてください - のいる・こいるさんの漫才が面白く、また見たかった。しょうがねーの連呼と適当でいいんだよの言い方が面白くて大笑いでした。ご冥福をお祈りします。
- こいるさんが先立ち、ついにのいるさんもか。楽しい漫才なんだよね 誰を何かディスるわけでもないし。
テンポも巧妙。芸ってのはこういうことだよなあってほんと思ったね。 - 笑点の演芸コーナーとかで見てたけど、とにかく理屈抜きで面白かった。
最近少なくなった気がするけど、またああいう理屈抜きに楽しめる芸を見たいな。ご冥福をお祈りします。
などと、死を悼む声が上がっています。
昭和のいるさんは国士舘大学出身で、アルバイト先の歌声喫茶で相方・昭和こいるさんと出会い、後に漫才コンビ『獅子てんや・瀬戸わんや』を紹介されて弟子入りし、1966年に『花園のいる・こいる』のコンビ名でデビューしました。
同期は『コント55号』や『横山やすし・西川きよし』などで、昭和こいるさんが早口で「ハイハイハイ」「そうそうそう」「良かった、良かった」「しょうがね、しょうがね」などと、適当な相づちを繰り返すスタイルで人気を博し、1976年にNHK漫才コンクールで優勝し、1977年に国立演芸場花形新人賞銀獅子賞、2001年に浅草芸能大賞奨励賞を受賞しました。
長年にわたってコンビ活動を続け、1999年に『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の企画「笑わず嫌い王決定戦」、『新春!爆笑ヒットパレード』(同)などに出演してプチブレークし、様々なネタ番組に出演して幅広い世代から親しまれていました。
しかし、昭和のいるさんが2013年後半から病気によって入院退院を繰り返し、これによりコンビ活動は休止、昭和こいるさんはピンで漫談などをしていましたが、2021年12月末に前立腺ガンにより亡くなりました。
昭和のいるさんは10年以上前から表舞台には立っておらず、2015年には漫才協会の副会長が『ナイツ』の塙宣之さん、『おぼん・こぼん』のこぼんさんに交代しました。
昭和のいるさんはかなり前から体調を崩し、3年半前には昭和こいるさんが亡くなり、もうコンビのネタを見ることはできなくなっていたのですが、2人揃ってこの世を去ってしまい、ただただ寂しい限りです。
昭和のいるさんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
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- https://www.rakugo-kyokai.jp/news/unggmm3qf-vp
- https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/900025757.html
- https://natalie.mu/owarai/news/150451
- https://natalie.mu/owarai/news/31135
のいる師匠お疲れ様でした 元祖早口漫才は面白かった