人気シンガー・ソングライターの米津玄師さん(よねづ・けんし 28歳)が、6月7日公開のアニメ映画『海獣の子供』で、自身初となる映画主題歌『海の幽霊』(発売未定)を書き下ろしたことが24日に発表され、ファン等の間で大きな反響を呼んでいます。
また、週刊誌『フラッシュ』が米津玄師さんの謎に包まれた学生時代の姿、秘話を報じていることでも話題になっています。
米津玄師さんは2013年にメジャーソロデビューを果たしたのですが、昨年末の『NHK紅白歌合戦』に出場するまで、一度もテレビ番組で歌唱パフォーマンスを披露しないなど、メディアとの距離を取ってきた歌手の1人で、プライベートも謎に包まれた部分が多くあります。
そうした中で、『フラッシュ』最新号は「米津玄師『隠し続けた写真』」と題して、高校時代の卒業アルバム写真など複数の写真を入手して公開しており、同級生等の証言をもとに学生時代の様子などを伝えています。
『フラッシュ』によると、米津玄師さんはコンピューター関連企業に勤務する父と専業主婦の母、姉1人の4人家族で、徳島県徳島市の木材業の工場が並ぶ港町に生まれ、幼稚園から中学校までは自宅の近くだったといい、幼少期から物静かで絵を描くのが好きだったそうです。
実家近所の飲食店店主は、「小学校高学年で担当だった先生曰く、『顔も覚えていない』。引きこもり気味だったと聞いています。同じ小学校の子が卒業アルバムを見て、初めて同級生と気づく。それぐらいおとなしい子だったそうです。」
と語り、一方の中学時代の同級生は、昔から雰囲気は変わっていないと明かしています。
そんな米津玄師さんが音楽に没頭するようになったのは中学時代からで、中2の時に幼馴染とバンドを結成し、オリジナル曲の制作を始めたといい、その頃からすでに将来はプロになりたいという思いが芽生えていたようです。
中学卒業後は徳島市内にある県立徳島商業高校へと進学し、当時はギターを担いで自転車に乗って通学していたといい、高校の同級生は当時の米津玄師さんについて、「昼休みはイヤホンをつけて、いつも音楽を聴いていました。聴いている最中に話しかけられるのを嫌がってて、声をかけたらものすごい怒られた。一度、昼休みに教室が騒がしかった時、いきなり米津がバーン!と机を叩いて、教室を出ていったことがありました。きっとうるさかったんでしょうね(笑)」
という当時のエピソードを明かしています。
<↓の画像が、高校生時代の米津玄師さんの卒業アルバム写真>
また別の同級生は、写真嫌いで集合写真にも写ろうとしなかった米津玄師さんに理由を聞いたところ、「俺は将来、絶対売れるんで、写真を残したくない」などと話していたそうです。
当時、米津玄師さんが度々出演していたライブハウスの店長は、「全曲オリジナルで高校生のレベルじゃない完成度でした。(中略)社交的な性格じゃないから友達を呼ぶことはほとんど無くて、観客がゼロくらいの日もあったけど、芯の強さがあった。彼を知る同世代の地元バンドマンは口を揃えて『自信家だった』と言いますね」
と明かしており、昔から強い自信を持ち、上昇志向が強かったようです。
この他に『フラッシュ』は、米津玄師さんは運動神経がイマイチだったことや、高校3年時の文化祭には『Toy Circus Show』というバンドを率いていたこと、高校時代には交際していた彼女がいたことを伝えています。
<↓の画像は、高校3年時の体育祭での集合写真>
そして、この報道に対してネット上では、
- 夢叶えててすごいやん
- 大物アーティストになれてよかったな
- これが言えずに隠してた昏い過去なんだね
- 陰キャと思いきや割とイキってた感じなんか
- ワイの所にもクラスがうるさくて机たたいて出てった奴おったわ
などのコメントが寄せられています。
米津玄師さんはメジャーデビュー前から非凡な才能で注目を集めており、「ハチ」名義で『ニコニコ動画』に複数のボーカロイド曲を投稿し、100万回以上の再生を記録する楽曲を複数生み出すなどしており、2010年には自主制作アルバムも制作していました。
メジャーデビュー直前の2012年には、インディーズから「米津玄師」名義のデビューアルバム『diorama(ジオラマ)』をリリースし、オリコンの週間ランキングで初登場6位を記録、そして2013年にメジャーデビューを果たして現在に至っているのですが、米津さんはミュージシャンたちからも高い評価を受けているアーティストの1人で、今後も自身の世界観を維持しながら、良い楽曲をさらに生み出していってくれることに期待したいです。
また、今年1月~3月にかけては自身初となるアリーナツアーを開催したのですが、今後も定期的にライブを開催し、より多くのファンの前で生のパフォーマンスを披露してほしいですね。