NHK教育(Eテレ)で放送の子供向け工作番組『なにしてあそぼう』(1966~1970年)、『できるかな』(1970~1990年)などに出演し、「ノッポさん」の愛称で親しまれていた俳優・作家の高見のっぽさん(旧芸名=高見映 本名=高見嘉明)が、昨年9月10日に急死していたことが分かりました。88歳でした。
関係者によれば、高見のっぽさんは生前「人間、死ぬことは当たり前だから、風の様に逝く」と語り、周囲を騒がせたくないとして「死後半年以上伏せてほしい」と希望していたため、亡くなってから半年が経ち誕生日に合わせて公表に至ったとし、葬儀・告別式は近親者のみで執り行われたそうです。
高見のっぽさんの死因は「心不全」で、亡くなる直前まで元気に生活を送っていたとのことです。
<↓の画像は、毎日新聞が昨年7月撮影の高見のっぽさんの写真>
そして、高見のっぽさんの訃報を受けてネット上では、
- ノッポさんが亡くなられて寂しい…できるかな再放送ないかな〜
- 子供のころ、でっきるかな♪でっきるかな♪と歌いながら観てました。最終回でノッポさんが喋った事は後から観て驚きましたね。ご冥福をお祈りします。
- 小さい頃は病気がちで学校休んで家にいる間、教育テレビは大きな存在でした。特に「できるかな」は楽しくて、ノッポさんにはお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
- 物を作ることが好きになったきっかけは、ノッポさんのおかげ。悲しいけれど、ありがとうございます。違う世界でも、子どもたちの憧れの存在でいてください。
- ノッポさん、子どもが通っていた幼稚園の講演会にいらした時に拝聴した。子どものことを「小さい人」と仰って同じ人間として敬意をお持ちだった
ガッツリ子育て中だったから、そういう考え方が出来たらステキねって素直に思えたのを覚えてる。安らかにおやすみください
などの声が上がっています。
高見のっぽさんは俳優やダンサー等の活動を経て32歳の時に、『なにしてあそぼう』でノッポさん役に抜擢され、言葉を一切話さずにジェスチャーを交えながら工作をするキャラクターが子供たちに支持され、その後も後継番組『できるかな』にも出演し、国民的な人気・知名度を得ました。
『できるかな』の最終回ではノッポさんが初めて喋り、「あーあ、しゃべっちゃった!今日はね、特別なんです。長い間ね、みんなと友達でいましたけど、『できるかな』は4月から『ともだちいっぱい』という新しい番組とかわります。」と挨拶したことで、当時社会的な話題にもなりました。
高見のっぽさんはこの他にも、子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ系)の構成作家を10年以上にわたり務め、複数の楽曲の作詞も担当し、『できるかな』が終了後は絵本・児童文学作家としての活動を主に行い、2007年にNHKの放送文化賞を受賞するなどしています。
そんな高見のっぽさんは昨年6月27日に、地域情報番組『ひるまえ ほっと』(NHK総合)にゲスト出演し、ステップを踏みながら登場して活き活きとトークしており、その時点では特に変わった様子はみられませんでした。
その後も『毎日新聞』の取材を受けるなどしており、80代後半になっても変わらず元気な姿を披露していただけに、半年前に心不全で急死していたというのは驚きました。
先月には、高見のっぽさんの1歳年下で「ムツゴロウ」の愛称で親しまれていた畑正憲さんも亡くなるなど、かつてテレビ等でよく見ていた方が相次いでこの世を去っており、非常に寂しい限りです。
高見のっぽさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。