元プロ野球選手で、『ヤクルトスワローズ』や『東北楽天ゴールデンイーグルス』などで監督を務めた“ノムさん”こと野村克也さん(のむら・かつや)が、急死していたことが明らかになりました。84歳でした。
テレビ朝日系『ANN』などの報道によると、11日未明に東京都世田谷区内の自宅で家政婦が、浴槽の中でぐったりしている野村克也さんを発見したといい、その後病院に搬送されたものの、午前3時30分に死亡が確認されたとのことです。
<↓の画像は、野村克也さんの訃報、ANN報道写真>
野村克也さんの息子で、『東北楽天ゴールデンイーグルス』の一軍作戦コーチ・野村克則さんによると、死因は母・野村沙知代さんと同じく「虚血性心不全」だったとのことです。
野村克則さんは11日にキャンプ地の沖縄から自宅へと戻り、集まった報道陣の取材に応じ、「急すぎて実感もなくて受け入れられない。」「午前2時過ぎに電話がかかってきた。今あるのは父親のおかげ。本当に偉大な存在で、その息子であったことは本当に誇りに思います。残念です。」
と涙ながらに語り、葬儀は密葬にて後日執り行い、お別れ会も開く予定としています。
野村克也さんは今年1月19日に開催された『東京ヤクルトスワローズ』のOB会に出席し、同21日には元プロ野球選手・金田正一さん(享年86)のお別れ会に参列、同25日に『シダックス』野球部OB会に出席していましたが、足腰が弱り車イスに乗っていました。
<↓の画像が、金田正一さんのお別れ会参列時、ヤクルトスワローズOB会参加時の写真>
野村克也さんは1954年に『南海ホークス』(現・福岡ソフトバンクホークス)にテスト生として入団し、1956年には一軍に昇格して正捕手となり、1957年にホームラン王のタイトルを獲得、1962年には当時のパ・リーグ記録となるシーズン44本塁打、翌年には当時のプロ野球記録シーズン52本塁打を記録し、1961年~1968年まで8年連続でパ・リーグのホームラン王となり、1965年には戦後初となる三冠王を獲得。
南海ホークス時代の1959年~1966年にかけて5度のリーグ優勝、2度の日本一となり、1970年~1977年にかけては選手兼監督として活躍していました。
<↓の画像は、野村克也さんが現役時代の写真>
1977年に南海を退団後は、『ロッテオリオンズ』(現・千葉ロッテマリーンズ)、『西武ライオンズ』(現・埼玉西武ライオンズ)を渡り歩き、生涯成績は出場試合数3017試合、657本塁打、1988打点などとなっており、出場試合数は谷繁元信さんに次いで歴代2位、ホームラン数と打点は王貞治さんに次いで歴代2位となっています。
現役引退後は野球解説者・野球評論家として活動し、1989年には野球殿堂入りを果たすとともに、ヤクルトスワローズの監督就任が決まりました。
野村克也さんは監督としても活躍し、1992年にはリーグ優勝、1993年、1995年、1997年には日本一に導き、その後も『阪神タイガース』や『東北楽天ゴールデンイーグルス』の監督としても活躍しました。
そんな野村克也さんの突然の訃報に対してネット上では、
- サッチーが亡くなられて一気に元気が無くなられたように見受けられたので心配でしたが…
- 選手としても監督しても活躍し、ユーモアもあった。ご意見番としてもっと姿をみたかった。沙知代さんに会えますように。
- 1番親しい人が亡くなると一気に老け込むとは言うけど、ほんとそうだったな。天国でも野球の監督やってそう。
お疲れ様でした…なんて言ってほしくないですよね。生涯野球人、まだまだあっちでも頑張ってください - おしどり夫婦は奥様が亡くなると、旦那さんは早死しちゃうのかな。
野球理論は好き嫌いがあり、あまり野村さんの戦術は好きではなかったけど、選手として監督として申し分ない実績と野球界に貢献したのは事実。
ご冥福をお祈りします。 - 奥さん亡くされてから傍目から見てもひどく気落ちされていましたね。でも、こんなに早く逝ってしまわれるとは思いもしませんでした。
とても残念です。豊富なご経験と鋭い洞察力からくる解説は非常に聞き応えのあるもので、また聞きたかった。。。 - 野村克也ほどの名選手で、且つ、名監督である野球人は居ないと思います。
日本における伝説の野球人が10人とするならば、間違いなくその1人でしょう。
史上最高の捕手、野村克也は私たちの心の中で生き続けます。お疲れさまでした。 - つい先日、録画していたジャンクスポーツでのインタビューを観たとろでした。
杖をついてゆっくり歩かれていて少し弱ったのかなと思っていたところでした。
名言や独特のボヤキなど球界を明るく楽しくしてくれたのも野村監督だったと思います。これからも天国でサッチーと仲良くしてください!
などのコメントが寄せられています。
野村克也さんは約2017年12月に、最愛の妻である“サッチー”こと野村沙知代さん(享年85)を亡くしており、沙知代さんは自宅で「虚血性心不全」を発症して心肺停止状態となり、搬送先の病院で亡くなりました。
<↓の画像は、野村克也さんと妻の“サッチー”こと野村沙知代さんのツーショット写真>
それから2年が経ち、野村克也さんは野村沙知代さんが亡くなられた後もメディアの取材を受けたり、OB会などのイベントに参加するなどしていましたが、以前に比べると元気が無くなってしまったとの指摘も多く上がっていました。
野村克也さんは昨年12月末放送の『令和家族・幸せ探す旅 心温まる出会いの物語』(NHK)で、「もう2年になる。早いね。男って弱いね」「そばにいないんだもん、相手が。それは寂しいもんだよ。乗り越えようがないじゃん。あとは安らかに死を迎えるだけだから」
などと語る場面があり、最愛のパートナーを失い、気落ちしてしまっている様子でした。
つい先日には、複数の日本記録を持つ日本プロ野球名球会初代会長・金田正一さんが亡くなり、多くのプロ野球ファンから悲しみの声が上がっていましたが、同じく戦後のプロ野球を盛り上げ、大きな存在感を放っていた野村克也さんまで亡くなってしまい、あの毒舌、ボヤキをもう聞けないと思うと寂しい気持ちになります。
野村克也さんが日本の野球などについて語る姿をもっと見たかっただけに非常に残念ではありますが、これからあの世でゆっくりと休んでほしいです。
野村克也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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- https://www.daily.co.jp/baseball/2019/12/29/0012998308.shtml
- https://fujinkoron.jp/articles/-/680
特別野球ファンじゃなくても、王さんや星野さん、ノムさん、長嶋さんは偉大さがわかり、チャーミングな親しみがあった
ノムさんお疲れ様でした。
いまの野球界はファンじゃないと知らない
選手、監督、評論家として偉大な人でした
パ・リーグ最強の打者であり、捕手だったと思います
御冥福をお祈りいたします