Jリーグ『ヴェルディ川崎』(現・東京ヴェルディ1969)の元ゴールキーパー(GK)で、社会人サッカークラブチーム『北海道十勝スカイアース』の社長・藤川孝幸さん(ふじかわ・たかゆき)が15日未明、胃ガンのため横浜市内の病院で亡くなられていたことが明らかになりました。56歳でした。
藤川孝幸さんが代表を務めていた『北海道十勝スカイアース』や、常務取締役を務めていたスポーツクラブ『リーフラス』の公式サイトが20日に更新され、藤川孝幸さんが15日に亡くなったことを伝えており、故人の遺志により、近親者で葬儀を執り行ったとしています。
お別れ会は後日執り行う予定で、日時や場所などの詳細は今後発表するとのことです。
<↓の画像は、『北海道十勝スカイアース』公式サイト掲載の藤川孝幸さんの訃報>
藤川孝幸さんは今年4月に行った『北海道十勝スカイアース』の新体制発表会見に出席した際に、昨年12月に背中の激痛で病院に行ったところ、「余命3ヶ月から半年」の胃ガンで、「ステージ4以上の末期」であることを告げられたことを告白しました。
<↓の画像が、4月の会見で末期の胃ガンを公表した藤川孝幸さんの写真>
医師からは「来年の桜は見られない」と言われ、すぐに抗ガン剤治療を始めたことによって、現在はガン細胞が治療前の半分にまで減ったことを明かし、体重は減ってしまったものの、今年1月に入院中も病室でチームの新戦力補強の話を進めるなど仕事を続けてきたといい、「今後も毎週治療に通うことになる。ずっとサッカーをやってきたので、日本スポーツ界に貢献して、何か形を残したい」
と語っていました。
その後5月には、藤川孝幸さんの闘病を激励する「藤川孝幸激励マッチ」が『東京ヴェルディ1969』のホーム・味の素スタジアムで開催され、かつてのチームメイトであるラモス瑠偉さん、菊池新吉さん、柱谷哲二さん、永井秀樹さん、武田修宏さん、藤吉信次さん、エジソンさん、都並敏史さん、加藤久さんら約40人の関係者らが試合に出場しました。
<↓の画像は、「藤川孝幸激励マッチ」に出場した関係者らの写真>
試合終了後に藤川孝幸さんは自身の末期ガンの状態について、「昨年末で、胃ガンだけで4.5センチあって、リンパも8センチ、それ以外の7ヶ所も3センチくらいのガンがあって、医師からは『(ガンが)内臓を圧迫して、どうしようもない状態で余命3ヶ月。緩和病棟で緩和治療してくれ。抗ガン剤治療も手術も何も出来ないから、痛みだけ止めてくれ』くらいのことを言われた」
と、全身の9ヶ所にガンがあることを改めて説明していました。
<↓の画像は、元チームメイトのラモス瑠偉さん、永井秀樹さんとの写真>
(左からラモス瑠偉さん、藤川孝幸さん、永井秀樹さん)
その上で、「何とかここまで、半分くらいまではいかないけれど、かなり良くなってきている。ヴェルディは自分の命、全てなので、ここの読売クラブ、ヴェルディのOB、チームメートがいないと僕はない。何とか奇跡を起こして、みんなに恩返しをしたい」
という思いを明かしていました。
藤川孝幸さんは治療によって4月にはガン細胞が減り、病状が回復したことで現場復帰を果たし、それからは東京と北海道を行き来するなどしていたそうなのですが、10月中旬に体調を崩し、それから回復せずに亡くなられたとのことです。
そして、藤川孝幸さんの訃報を受けてネット上では、
- 今年のOB戦の時、本人はプレーはされなかったけれど、お言葉を聞くことができて嬉しかった。
ヴェルディがJ1へ復帰し、再び強豪となる姿を天国から見守っていてください。ご冥福をお祈りします。 - 菊地新吉のサブキーパーだったのを思い出す。バラエティー番組にも当時はよく出ていたし、明るい性格でファンにも人気だった。まだまだ若いのに残念
- 憎たらしいくらい強かったヴェルディの黄金時代のメンバーでしたね。菊池新吉と正GK争いしてましたね。個人的には生ダラのPKに出ていた印象が強いですね。
- 本人のキャラクターが大きかっただろうが、レギュラークラスではない選手の中では、抜群に知名度が高かった選手だと思います。
逆に言うと、控えにこれだけレベルの高い選手がいた当時のヴェルディがいかに強かったのかよくわかる象徴のような選手とも言えた。
ご冥福をお祈りします。 - 昔ニッポン放送で放送されたラジオ番組『都並クン・藤川クンのイエローカードなんて怖くない!?』を聞いていましたが、トークの面白さはお笑い芸人レベル。
サッカーのことなど全く知らなかった自分がJリーグに興味を持ったのも、この番組の影響があったと思っています。
サッカーの普及のためにもっともっと活躍してほしい人でした。ご冥福をお祈りします。 - 『とんねるずの生ダラ』で、ノリさんのPK対決コーナーにラモスと一緒に出ていたのを思い出す。
その時も明るいキャラを生かして、面白い対決を見せてくれてた。
その後も生ダラのサッカー対決にちょくちょく出演し、番組を盛り上げてた。好感のもてる方だっただけに残念。心よりご冥福をお祈りします。
など、死を悼むコメントが相次いでいます。
藤川孝幸さんは、1980年から『東京ヴェルディ1969』の前身である『読売サッカークラブ』に所属し、チームでは6年後輩の菊池新吉さんに正GKの座を奪われてしまったことにより、Jリーグでの出場試合数は決して多くはありませんでしたが、特にPK戦で強さを発揮したことで注目を集めた選手でした。
<↓の画像は、現役時代の藤川孝幸さんの写真>
Jリーグ開幕からわずか2年後の1995年には現役を引退し、その後はヴェルディで5年、ヴィッセル神戸で4年、ベガルタ仙台で1年にわたってGKコーチを務め、2006年に甲南大学のサッカー部監督、2007年にはセレッソ大阪のコーチ、静岡FC(2010年に解散)の監督、2008~2009年にアビスパ福岡のコーチ、2010年から国際武道大学の監督を務めるなど、引退後は指導者として活躍していました。
2015年には、『リーフラス』へ入社して常務取締役を務め、昨年からは同社が運営権を取得した『北海道十勝スカイアース』で代表を務めていました。
そんな藤川孝幸さんは明るい性格で、現役時代にはムードメーカーとしてチームを明るくしていた方だったそうで、現役時代にはラジオ番組のパーソナリティーを務めたり、引退後にはバラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)内のPK対決のコーナーに出演するなど幅広く活躍していました。
ヴェルディでは菊池新吉さんが正GKとして活躍していたこともあり、藤川孝幸さんが試合で活躍する姿はあまり見ることは出来ませんでしたが、『生ダラ』などへの出演もあって印象に残っているサッカー選手の1人で、引退後も指導者として活躍し、昨年からは『北海道十勝スカイアース』の代表を務めるなどしていた方だけに、56歳という若さで亡くなられてしまったというのは非常に残念です。
藤川孝幸さんは昨年末に末期の胃ガンと診断されたとのことですが、『国立がん研究センター』の発表によると、男性で最も発症数が高いのが胃ガン、2位が肺ガン、3位が大腸ガン、4位が前立腺ガン、5位が肝臓ガンとなっています。
死亡数が最も高いのが肺ガンで、2位は胃ガンとなっており、40歳以上では胃、大腸、肝臓などの消化器系のガンによる死亡率が高く、2016年のデータによると、胃ガンで亡くなられた方は4万5,531人(男性:2万9,854人、女性:1万5,677人)でした。
胃ガンは5年相対生存率が男性65.3%、女性63%と比較的高いのですが、ステージ4以上の末期となると5年生存率は7.0%となっており、こうした数字を見ると、もし早期に発見して治療できていれば、ガンによって亡くなることはなかったのかもしれないなどと考えてしまいます。
非常に残念ではありますが、あの世でゆっくりと休んでほしいと思います。
藤川孝幸さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。