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藤子不二雄Aが死去を悼む声。ドラえもん作者・藤子・F・不二雄とコンビ活動、昨年漫画家デビュー70周年迎え…

藤子不二雄Aが自宅で倒れ急死、死亡の経緯や死因を警察が捜査。忍者ハットリくん、笑ゥせぇるすまんの作者が亡くなる

『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『魔太郎がくる!!』『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』など、数多くの漫画を手掛けた漫画家・藤子不二雄Aさん(本名=安孫子素雄 あびこ・もとお)が、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなられていたことが分かりました。88歳でした。

神奈川県警察の発表によれば、7日午前8時40分ごろに、川崎市多摩区内の自宅から「敷地内で男性が倒れている」との通報があり、警察が現場に駆けつけると、倒れている藤子不二雄Aさんを発見したとのことです。

その場で藤子不二雄Aさんの死亡が確認され、現在警察は死亡した経緯や死因を調べているとのことですが、捜査関係者によると、遺体には目立った外傷は無いそうです。

藤子不二雄Aさんの訃報報道

そして、藤子不二雄Aさんの突然の訃報にネット上では、

などの声が上がっています。

藤子不二雄Aさんは小学生の頃から漫画家を目指し、高校時代から同級生の藤子・F・不二雄さん(本名=藤本弘 享年62)とコンビを組んで作品を雑誌に投稿、1951~1952年にかけて『毎日小学生新聞』に共作の4コマ漫画『天使の玉ちゃん』が掲載され、これが事実上の漫画家デビュー作となっています。

<↓の画像は、藤子・F・不二雄さんと藤子不二雄Aさんの写真>

高校卒業後はそれぞれ一度は就職しましたが、漫画家としての活動は続け、1953年に「足塚不二雄」名義(後に藤子不二雄に改名)でSF漫画『UTOPIA 最後の世界大戦』を出版、翌年に揃って上京し、手塚治虫さんや石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん等が暮らしていた豊島区内のアパート・トキワ荘の住人となりました。

その後、1964年に共作の『オバケのQ太郎』が大ヒット、また藤子不二雄Aさんは『忍者ハットリくん』『怪物くん』『黒ィせぇるすまん(笑ゥせぇるすまん)』、藤子・F・不二雄さんは『パーマン』『ドラえもん』などの作品を発表し、後にアニメ化もされるほどのヒットとなりました。

<↓の画像は、藤子不二雄Aさんが描いたキャラクターの写真>

<↓の画像は、藤子・F・不二雄さんが描いたキャラクターの写真>

そして、それぞれの作風の違いや、没後に著作権を巡って親族が揉めるのを避けるために1987年をもってコンビを解消し、それから9年後の1996年9月に、元々病気がちだった藤子・F・不二雄さんが肝不全で急死しました。

一方の藤子不二雄Aさんはその後も漫画家、作家活動を続け、2005年に日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞、2008年に旭日小綬章を受章しました。

2013年には大腸ガン、2017年には心臓弁膜症の手術を受けていましたが、晩年まで精力的に活動しており、昨年には漫画家デビュー70周年を迎え、様々なメディアのインタビューにも応じていました。

2020年末のインタビュー動画

高齢ながらも元気そうな様子だったことから、突然の訃報には驚きましたし、藤子不二雄Aさんのブラックユーモアに溢れた作品が好きだっただけに、漫画界のレジェンドの1人である藤子さんが亡くなってしまったのは残念でなりません。

藤子不二雄Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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