名脇役女優・菅井きんさん(本名=佐藤キミ子)が10日14時、「心不全」により東京都内の自宅で亡くなられていたことが明らかになりました。92歳でした。
所属事務所『株式会社 仕事』が23日に菅井きんさんの訃報を伝え、葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、故人を偲ぶ会などを行う予定は無いとしています。
菅井きんさんは第二次世界大戦末期から終戦直後まで、文部省総務課や東京帝国大学学生課の事務職員として働き、1946年に劇団『東京芸術劇場研究所』へ入所し、女優としての活動をスタートさせました。
同劇団解散後は、東野英治郎さんらが設立した『劇団俳優座』へ入座し、1951年公開の『風にそよぐ葦』で映画デビューして以降は、様々な映画、ドラマに出演し、主演の脇を固める名バイプレーヤーとして活躍していました。
主な出演作品は、映画『ゴジラ』、『どですかでん』、『お葬式』、時代劇ドラマ『必殺仕置人』などの『必殺シリーズ』、『太陽にほえろ!』、『七人の女弁護士』シリーズ、『家なき子』、『おみやさん』シリーズ、『功名が辻』などとなっています。
プライベートでは1952年に『劇団俳優座』の映画部に所属する映画プロデューサー・佐藤正之さんと結婚し、長女をもうけましたが、佐藤さんは1996年に肝不全で亡くなりました。
<↓の画像は、昔の菅井きんさんの写真>
1985年には、映画『お葬式』や『必殺! THE HISSATSU』で『日本アカデミー賞』の最優秀助演女優賞を受賞し、名バイプレーヤーとしての活躍ぶりが高く評価され、1990年には紫綬褒章、1996年には勲四等宝冠章を受章しました。
2008年製作の映画『ぼくのおばあちゃん』では当時82歳にして映画初主演し、「世界最高齢映画主演女優」としてギネス記録に認定されました。
<↓の画像は、2008年に菅井きんさんがギネス認定された際の写真>
80歳を超えてからも活躍する姿を見せていましたが、2010年公開の映画『瞬 またたき』への出演を最後に女優活動を休止しました。
活動休止の理由は、2010年に自宅で転倒したことで大腿骨(だいたいこつ)を骨折し、自分の足で歩くことが出来なくなってしまったためだと説明しています。
なお、菅井きんさんは2014年5月に週刊誌『女性セブン』によって、数年前に認知症を発症して夜中に徘徊していることや、「要介護3」の認定を受けて特別養護老人ホームで生活をしていると報じられたのですが、この報道後に情報番組『ノンストップ!』で4年ぶりにテレビに登場し、特別養護老人ホームで生活する現在の様子を公開しながら、認知症となり「要介護3」の認定を受けたなどの報道は完全否定し、「腹が立ちました。弱い者いじめだと思って」と怒りをあらわにしていました。
しかし、自力での歩行が困難な状態にあることから、仕事復帰は諦めていると告白しており、「もう女優じゃないです。無理ですもん」と寂しそうに話していました。
そんな菅井きんさんの訃報を受けてネット上では、
- 家なき子のいじわるばあさん役は強烈だったなぁ~。
- 存在感のある方でした。物心ついた時にはお婆ちゃん役でしたが、しばらく見なかった今でも声を思い出せるほど記憶に染み付いていたんだと実感しました。御冥福をお祈りします。
- 最近見かけないと思っていたら、、、名演技の数々、ありがとうございました。大往生ですね。
- 出演されたドラマを思い出すとどのドラマでも主役の方より鮮明に思い出せます。そのくらい存在感のある大女優さんでしたね。たくさん楽しませてもらいました。
- 名女優だったなぁ。主役は少なかったけど、主役を輝かせられることのできる女優は少ない。御冥福をお祈りいたします。
などのコメントが寄せられています。
菅井きんさんと言えば、様々な作品で演じていた意地の悪いおばあさん役が頭に浮かび、「藤商店 からし酢みそ」のCMも強く印象に残っています。
4年前に『女性セブン』が報じた記事にはかなりショックを受け、心配をしましたが、その後すぐに菅井きんさん本人が報道内容を否定し、毎週1回、1時間のリハビリに励み、車椅子で外出するなどしていることを明かすなど、元気そうな様子も見せていたので少しホッとしていました。
その時に菅井きんさんは、仕事復帰を諦めているとは話していたものの、いつかまた女優として復帰してくれるのではないかという思いもあったため、亡くなられてしまったというのは残念でなりません。
菅井きんさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。