篠沢秀夫教授が死去、享年84。クイズダービー出演し活躍も、難病ALS発症し闘病生活送る

訃報
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篠沢秀夫教授

昨年7月に亡くなった大橋巨泉さん(享年82)が司会を務め、1976年~1992年にかけて放送されたクイズ番組『クイズダービー』(TBS系)に出演していたフランス文学研究者・学習院大名誉教授の篠沢秀夫教授が、26日に東京都文京区内の病院で亡くなられたことが明らかになりました。84歳でした。

“篠沢教授”の愛称で親しまれていた篠沢秀夫教授は、学習院大学から 東京大学大学院に進学し、その後はフランス・パリ大学に留学。

1960年代からは明治大学や学習院大学で教授を務め、1977年から1988年まで『クイズダービー』に回答者として出演し、番組では大学の教授とは思えないようなユニークな珍解答を連発し、視聴者の間で人気を集めていました。

<↓の画像が、『クイズダービー』に出演していた頃の篠沢秀夫教授の写真>
『クイズダービー』出演時の篠沢秀夫

番組には篠沢秀夫教授の他に、正解率が7割超えの漫画家・はらたいらさん(2006年11月死去、享年63)、“三択の女王”と呼ばれた女優・竹下景子さん(64)らがレギュラー回答者として出演し、1979年~1981年にかけては年間平均視聴率が約30%という人気クイズ番組でした。

篠沢秀夫教授は1988年7月末に番組を降板しましたが、その後も何度かゲストという形で番組に登場、『クイズダービー』の他にも様々なバラエティ番組に出演するなどしていましたが、2009年2月に難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と診断され、同4月には気道を切開して人工呼吸器を装着し、闘病生活を送っていました。

その後2011年6月からは講演活動を再開し、精力的に執筆活動なども行っていました。

<↓の画像は、ALSで闘病中に撮影された妻・礼子さんとの写真>
篠沢秀夫と妻・礼子

そんな篠沢秀夫教授の訃報に対してネット上では、

  • クイズダービーメンバーが次々に亡くなられていくのは寂しいですね。ご冥福をお祈りいたします。
  • とんちんかんな回答なつかしい。はらたいらさんとは正反対のポジションが番組を楽しくしてましたね。ご冥福をお祈りします。どうか安らかに。
  • 正解にならなくても教授らしくないというか笑顔で朗らかにしていらしてよい方だった。
  • テレビで良く見ていた方が亡くなるのは悲しいなぁ。ありがとうございました。
  • いつだったかの番組で、不自由な体ながらも癌とたたかう巨泉さんにメッセージを出していた。当時のクイズダービーの出演者も何人か他界されてしまった。笑顔の素敵な優しさ伝わる篠沢教授、ご冥福お祈り申し上げます。

などのコメントが寄せられています。

篠沢秀夫教授が発症したALSは、筋肉の萎縮と低下をきたす難病で、この病気を治すための有効な治療方法はまだ確立されておらず、病気を発症してから3~5年で呼吸筋麻痺によって亡くなるといい、人工呼吸器を付けるという延命治療を行っても、末期には眼球運動が麻痺するなどの症状がみられるそうです。

こうしたALSの研究支援を目的に2014年には、アメリカで「アイス・バケツ・チャレンジ」というバケツに入った氷水をかぶるか、100ドルを寄付するかという運動が行われ、日本でも広く拡散し話題になりました。

晩年はこうした難病を患い、本人はもちろん周りの家族もかなり辛かったのではないかと思いますが、これからゆっくりと休んでほしいと思います。

篠沢秀夫教授のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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