漫画家・黒岩よしひろさんが8日、心筋梗塞で急死していたことが明らかになりました。55歳でした。
黒岩よしひろさんの奥さんが16日に、黒岩さんのツイッターやブログ上で訃報を伝えており、亡くなってから1週間以上経ってからの報告となったことについては、「すぐにお伝えしなければと思いましたが、あまりにも突然のことでご報告が遅くなりました。葬儀は親族のみで行いました。」とし、より多くの方に情報が伝わるようにツイッターやブログでの発表としたと説明しています。
そして、黒岩よしひろさんの公式ホームページ、ブログ、ツイッターなど、生前更新していたものに関しては、生きた証として今後も残す意向であることも報告しています。
<↓の画像は、黒岩よしひろさんがブログに綴ったコメント全文>
突然の訃報に対して黒岩よしひろさんのブログやツイッター、その他ネット上では、
- 言葉が見つかりません。ついこの間までTwitterなどで絵を拝見させていただいていたのに…。せめて安らかに、おやすみください…。
- 『不思議ハンター』からのファンでした。先生の作品からたくさんの勇気と好奇心を育てていただきました。この度のお知らせ、悲しくてやりきれません。今はただ、ご冥福をお祈りさせていただきます。先生、安らかに。ありがとうございました。
- 不思議ハンターや変幻戦忍アスカ等好きでした…コミックも未だに持ってますよ・・・鶴ひろみさんを失った時と同じショックを受けてます…お悔み申し上げます。
- 近々のブログを読ませてもらったけど、スランプだったのかな、、、年齢的にも色々と考えてしまう時期だったのかも。ご冥福を、、、。
- 作風を見れば一発でこの人だと分かる人。月刊に移ってZENKIがアニメ化されたときは嬉しかったです。ご冥福をお祈りします。
- 漫画家さんは短命の方多いですね、それだけ身を削る仕事なのか。月刊ジャンプでは、ZENKI愉しませていただきました。黒岩さんのご冥福をお祈り申し上げます。
などの追悼コメントが寄せられています。
黒岩よしひろさんは、『ウイングマン』『電影少女』『I”s(アイズ)』などの作品で知られる人気漫画家・桂正和さん(55)のもとでアシスタントを務めながら、自身も漫画家として様々な作品の投稿を行い、1983年に手塚賞佳作、フレッシュジャンプ賞入選などを果たし、1986年に『週刊少年ジャンプ』にデビュー作『サスケ忍伝』が掲載されました。
その後も『変幻戦忍アスカ』『魔神竜バリオン』『不思議ハンター』などを連載し、1992年~1996年にかけて『月刊少年マガジン』で連載された谷菊秀さん原作の『鬼神童子ZENKI』で作画を担当しました。
<↓の画像は、黒岩よしひろさんの代表作『鬼神童子ZENKI』の写真>
その後も漫画家として活動を続け、これまでに『流星超人ズバーン』『ベイブレード大戦 聖龍伝』『ステージガールズ』『マクロスF 超次空歌巫女ランカ』など、様々な作品を描き、昨年からはWEB漫画サイト『Z』で新作『乙女神天照(おとめがみアマテラス)』の連載をスタートさせていました。
そんな黒岩よしひろさんのブログを見てみると、亡くなる前日の7日までいつもと変わらない様子で更新を行っており、最後の記事では歩いてスーパーに行ったことを報告していました。
ブログを見る限り、以前から特に体調不良などを訴えていたわけでもないようで、突然心筋梗塞を発症し亡くなられたとみられるのですが、55歳とまだまだこれからの年齢なので残念でなりませんね…。
黒岩よしひろさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。