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元楽天監督の星野仙一がすい臓ガンで死去、享年70。すい炎発症後に発見も進行早く帰らぬ人に

楽天副会長・星野仙一が急死、死因はすい臓ガン。プロ野球界の大物、病気発見後1年半で亡くなる…親友・山本浩二ら死を悼む

元プロ野球選手で『株式会社楽天野球団』の取締役副会長・星野仙一さんが4日、「すい臓ガン」によって亡くなられていたことが明らかとなりました。70歳でした。

楽天の発表によると、星野仙一さんは4日午前5時25分に亡くなったといい、2016年7月に「急性すい炎」を発症したことがきっかけで「すい臓ガン」を患っていることが明らかになったそうです。

その後は体調に波があったものの、仕事に支障をきたすことなく過ごしていたそうなのですが、昨年12月末から病状が悪化したとのことです。

星野仙一さんは亡くなる直前まで「コーチ会議に出られるかな」と話していたそうで、「最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。」と記しています。

葬儀については故人の強い意思により、密葬にて執り行うとしているのですが、「故人の意思とはいえ、大変お世話になった方々に対し、十分なご報告をせぬまま、この日を迎えてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、何卒ご容赦ください。」としています。

なお、お別れ会については後日行う予定で、詳細が決まり次第発表するとのことです。

『スポーツニッポン』(スポニチ)によれば、星野仙一さんは昨年11月28日、12月1日に東京と大阪で行われた『野球殿堂入りを祝う会』には出席しており、「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」などと話していたといいます。

しかし、昨年末に体調が悪化したことにより、家族と年末年始に予定していたハワイ旅行を取り止めたそうです。

星野仙一さんは、地元・岡山県の倉敷商業高校卒業後、明治大学政治経済学部経済学科へ進学し、1年生から1軍メンバーとして活躍。

<↓の画像は、明治大学入学当時の星野仙一さんの写真>

(画像右は親友で当時法政大学1年の田淵幸一さん)

東京六大学リーグでは、通算63試合に出場し23勝24敗・防御率1.91・199奪三振という成績を残し、2年生の時にはノーヒットノーランを達成しました。

1968年のドラフト会議で『中日ドラゴンズ』に1位指名されプロ入りし、3年目からはチームのエースナンバーとなる背番号『20』を背負い、1974年には20年ぶりとなるセ・リーグ優勝に大きく貢献しました。

<↓の画像は、中日入団会見時の星野仙一さんの写真>

1983年4月に現役引退後は、NHKで野球解説者を務めたり、野球評論家などとしても活躍し、1986年のシーズンオフに中日の監督に就任しました。

<↓の画像は、現役時代の星野仙一さんの写真>

星野仙一さんは現役時代から熱い男として知られていましたが、監督時代には「闘将」「燃える男」と呼ばれ、1987年5月の試合中に乱闘が起きた際には、相手チームのコーチと揉み合いの末に回し蹴りをしたことで退場処分を受け、その翌年には審判の判定に抗議した末、「バカ野郎」と暴言を吐いて退場処分となるなど、監督時代にも闘志みなぎる姿を見せていました。

<↓の画像は、中日の監督時代の星野仙一さんの写真>

中日の監督時代には2度のリーグ優勝を果たし、2001年に『阪神タイガース』の監督就任後には、しばらく低迷を続けていたチーム全体の成績を大きく伸ばし、就任2年目にはチーム18年ぶり3度目となるセ・リーグ優勝を果たしました。

<↓の画像は、阪神の監督時代の星野仙一さんの写真>

しかし、阪神の監督就任後には持病の高血圧症によって体調を崩し、試合中に倒れるということも何度かあったため、2003年シーズンをもって監督を退任し、阪神のオーナー付シニアディレクター(SD)に就任。

その後はタレント活動も行い、CMやテレビ番組などに出演することが増え、再び野球解説者なども務めていました。

そして、2010年に阪神退団を発表し、『楽天ゴールデンイーグルスの』の監督に就任。
2012年5月には投手出身監督、戦後生まれの監督としては初の監督通算1000勝を達成しました。

<↓の画像は、楽天の監督時代の星野仙一さんの写真>

また、2013年にはチーム史上初のパ・リーグ優勝、日本シリーズではセ・リーグ優勝の『読売ジャイアンツ』と対戦し、4勝3敗で初の日本シリーズ制覇の偉業も達成しましたが、2014年には腰痛が悪化し、難病の一種である「腰椎椎間板ヘルニア」「胸椎黄色靱帯骨化症」を患っていることが判明し手術を受け、同年をもって監督を退任。

2014年11月に楽天のシニアアドバイザー、2015年9月に『株式会社楽天野球団』の取締役副会長に就任しました。

星野仙一さんは弱いチームを強くすることに男のロマンを感じると語り、成績が低迷していた中日、阪神、楽天をAクラス入り、リーグ優勝できるチームに叩き直し、昨年1月には『野球殿堂』のエキスパート部門で表彰され殿堂入りを果たしました。

そんな星野仙一さんが4日、「すい臓ガン」によって亡くなられていた事が明らかになり、あまりにも突然の訃報に対してネット上では、

などのコメントが寄せられています。

また、多くの著名人からも星野仙一さんの死を悼む声が続々と寄せられており、大学時代からのライバルであり、親友だった元プロ野球選手の山本浩二さんは「突然の訃報に言葉が出ない。あまりにもショックが大きい。早すぎるよ」と突然の死を悲しみ、昨年11月末と12月初めに行われた『殿堂入りを祝う会』に出席した時の事を振り返り、「元気がなく、顔つきや声にも力がなくなっていたので心配はしていた」「3日後くらいだったかな。(星野氏から)お礼の電話がかかってきたので“気をつけてくれよ”と話したばかりだったのに…本当に早すぎる」と話しています。

<↓の画像は、大学時代からのライバルで親友の田淵幸一さん、星野仙一さん、山本浩二さんのスリーショット写真>

山本浩二さんはこのように語っているのですが、星野仙一さんは数ヶ月前までテレビ番組などにも出演しており、以前と比べて多少顔色が悪く痩せたかなとは感じたものの、激ヤセしたというほど見た目に大きな変化は見られず元気そうな様子でした。

そのため、突然の訃報に驚くばかりですし、あの星野仙一さんが70歳で亡くなったということがまだ信じられません。

<↓の画像は、昨年9月放送の『ボクらの時代』に出演した時の写真>

<↓の画像は、昨年7月にナゴヤドームで野球殿堂入りの表彰を受けた際の写真>

球団の発表によると、昨年12月末に体調が悪化するまでは体調の波があったものの、仕事には支障をきたさなかったとのことなのですが、星野仙一さんが発症した「すい臓ガン」は早期に発見することが非常に困難で、加えて進行が早いという特徴があります。

また、「すい臓ガン」はリンパ節や肝臓などへの転移の可能性もある病気で、もしかすると発見時にはかなり進行していて、他の臓器などへの転移もみられた可能性もあります。

「すい臓ガン」は初期段階では無症状の場合が多いとされているのですが、進行していくと上腹部痛や体重の減少、黄だんなどの症状があらわれ、特に多くみられる上腹部痛は、背中の痛みなどが激しく続くのが特徴だといい、星野仙一さんもそうした痛みなどに耐えながら仕事を続けてきたのかもしれません。

これまで日本のプロ野球で素晴らしい功績を残し、球界の発展に大きく貢献してきた方だけに、あまりにも突然のことでショックが大きいのですが、これからゆっくりと休んでほしいと思います。

星野仙一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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