シンガーソングライター・森田童子さん(もりた・どうじ 本名不明)が、4月24日に亡くなられていたことが明らかになりました。65歳でした。
森田童子さんの訃報は、『日本音楽著作権協会(JASRAC)』が1日に発行した会報に掲載され、死因などの詳細は明らかにされていなかったのですが、12日付の『日刊スポーツ』などによると死因は「心不全」で、自宅で亡くなられたとのことです。
<↓の画像が、JASRAC会報に掲載された森田童子さんの訃報>
真田広之さんと桜井幸子さんが主演したドラマ『高校教師』(TBS系)の主題歌『ぼくたちの失敗』などの楽曲で知られる森田童子さんは、1972年(当時20歳)に友人が亡くなったことをきっかけに音楽活動を始め、1975年10月にリリースしたデビューシングル『さよならぼくのともだち』は、亡くなった友人をモチーフとして制作した楽曲でした。
ライブハウスを中心に活動していた森田童子さんは、ラジオなどには出演していた一方でテレビには出演せず、素顔を見せることなく常にサングラスを着用したスタイルを貫き、本名や私生活などについても一切明かさずに、1983年までにアルバム7枚とシングル4枚をリリースし、引退宣言することなく突然音楽活動を休止後に結婚しました。
引退後は主婦として暮らしていたと言われており、1993年放送の『高校教師』、それから10年後の2003年に制作された上戸彩さんと藤木直人さん主演の続編で、1976年リリースの2ndシングル『ぼくたちの失敗』が使用され、100万枚近い大ヒットを記録したものの、活動休止後は表舞台に姿を現すことはありませんでした。
一方で、2003年リリースのベストアルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』の最後に収録されている『ひとり遊び』は、約20年ぶりに自身がセルフリメークしたものが収録されていたことで当時話題になりました。
<↓の画像が、2003年当時のスポーツ紙面の写真>
森田童子さんのファンは非常に多く、2016年にはこれまでにリリースしたアルバムなどのリマスター盤、楽譜などが新たにリリースされ、改めて森田さんの楽曲に注目が集まっていました。
そうした中で、森田童子さんの訃報が伝えられネット上では、
- TBS高校教師、ドンピシャ世代でした。森田さんの歌が、なんだか怖くて、切なくて今でも覚えてます。ご冥福をお祈りします。
- ラジオか何かの肉声は、どこか寂しそうな優しそうな。ライブの動画も見た事あるけど、あのまんま。一度ぐらい、本人の生の姿を見たかったな。CD持ってるし、好きな曲、ありがとうございました。安らかに。
- 夏のクロールなどつげ義春さんの漫画も連想させるような、どこか60~70年代の若い人たちにつながるような孤独を感じさせる歌詞の内容や透明感のある歌声が好きでした。
- この方はどんな人生を歩まれてあの曲を生み出したのだろう…最後まで謎な方だった。初めてあの曲を聞いた時は正直怖かった。繊細さが怖かった。ご冥福をお祈りいたします
- 高校教師でファンになりました。ぼくたちの失敗、たとえば僕が死んだら、ラスト・ワルツ、孤立無援の歌が好きでした。死や絶望を連想させる歌が多かったけど、皮肉にも?ずーっと作品は生き続けますね
- ライブハウスに歌を聞きに行っていた。黒いパンツに黒のシャツ。大きなサングラスで顔も表情もわからない。つぶやくような、語りかけるような透明な歌声。たくさん歌を聞いていた。ご冥福を祈ります
- 『雨のクロール』が好きでした。透明な声も、歌詞もメロもサウンドも心の奥深くまで突き刺さる力があった…。聴くとやるせない気持ちになるけど、すばらしい作品ばかり。ご冥福をお祈りします
- 森田童子さん、ずっと、永遠の思春期にいらっしゃるような、そんな気がしていました。ずっと、ずっと、青春の光の中に。影があってこその、おだやかでつややかな光の中に
などのコメントが寄せられています。
やはり森田童子さんと言えば、『高校教師』の主題歌に起用されたことで大ヒットした『ぼくたちの失敗』が有名で、この楽曲で森田さんに興味を持ち、様々な楽曲を聴いて魅力に取り憑かれていったという方が多い様子です。
『高校教師』は上戸彩さんと藤木直人さん主演で続編が制作されたこともあり、現在20~30代の人たちも一度は耳にしたことがあるのではないかと思いますが、森田童子さんの虚無感などが漂った歌い方や詞の世界観は引き込まれるものがあり、個人的にはロックバンド『eastern youth』がカバーしていた『たとえばぼくが死んだら』を聴いた時に衝撃を受けました。
<↓の画像が、音楽活動していた頃の森田童子さんの写真>
森田童子さんは謎な部分があまりにも多く、現在どこで何をしているのか全く分からず、引退後は主婦になったという情報ぐらいしかなかったのですが、2010年5月に『朝日新聞』に掲載された記事で、『ぼくたちの失敗』を担当した保科龍朗記者が仲介者をたぐって森田さんに接触を試みたものの、「とても親しかった人との唐突な死別と自らの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』」という回答があったと伝えていました。
これはあくまでも8年前の話で、森田童子さんはこの時に重い病気を患っていたのか、それが原因で心不全を発症し亡くなられたのかは定かではありませんが、まだ60代半ばで亡くなられてしまったというのは残念でなりません。
森田童子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。