明石家さんまの師匠・笑福亭松之助が死去。上片落語界の最長老が93歳で亡くなる。

訃報
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さんまの師匠・笑福亭松之助

明石家さんまさんの師匠で、上片落語界の最長老だった吉本興業所属の2代目・笑福亭松之助さん(しょうふくてい・まつのすけ 本名=明石徳三 あかし・とくぞう)が22日午前3時過ぎ、老衰により兵庫県西宮市内の病院で亡くなられたことが分かりました。93歳でした。

1925年8月に兵庫県神戸市に生まれた笑福亭松之助さんは、終戦後に日雇いで土木作業をしていましたが、ある時に「好きなことして生きてやろ」と思い、「死んだときに新聞に名前が出る」「ちょっとでも人に知ってもらえる」として芸人になることを思い立ち、漫才だとケンカとなることから落語家を目指したといいます。

そして、5代目・笑福亭松鶴さんの落語を聞くなどして「入門するならここや」と思い、1948年6月に松鶴さんの弟子となり、それから2週間足らずで初舞台を踏み、入門から2年後の1950年7月に松鶴さんが亡くなったこともあり、笑福亭松之助さんは演劇の分野にも進出し、『宝塚新芸座』や『吉本新喜劇』で喜劇役者としても活動、「明石光司」という名前で新喜劇の脚本や演出も手掛けるなどしていました。

1974年には明石家さんまさんを弟子にとり、さんまさんが落語家よりもタレントの方が向いていると見抜き、笑福亭ではなく自身の本名から「明石家」の屋号を授け、さんまさんはその後タレントとして大ブレークし現在に至ります。

笑福亭松之助さんは俳優としても活動し、映画『岸和田少年愚連隊~望郷篇~』『パッチギ』『釣りバカ日誌』、NHK連続テレビ小説『まんてん』『だんだん』などに出演したり、久米宏さん司会の報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系)で一時期コメンテーターを務めるなどていました。

明石家さんまさんとは度々共演をしており、2008年に笑福亭松之助さんが芸能生活60周年を記念した公演を行った際には、一番弟子のさんまさんとトークを披露し、「弟子であり、芸のライバル」と語り、その後も2014年3月に行われた桂文枝さんの襲名興行、2016年4月放送の『さんまのまんま』(フジテレビ系)などで師弟共演をしていました。

<↓の画像は、『さんまのまんま』で共演時の明石家さんまさんと笑福亭松之助さんの写真>
明石家さんまの師匠・笑福亭松之助

そんな笑福亭松之助さんの訃報にネット上では、

  • ここ2~3年見ないなと思ったら遂にか…さんまさん大丈夫かな
  • さすがのさんまさんもショックでしょうね。素晴らしい師弟関係でしたから。
  • さんまは、今日ヤンタンと向上委員会の収録だったと思います。葬儀嫌いなさんまさんだが、参列するだろうな。
  • さんまが若い頃は大変厳しい師匠だったようですが、人気が出てからは優しい父親のように接していたのが印象的です。ご冥福をお祈りします。
  • 弟子入り後、一度当時の彼女と逃げたさんまさんを再び受け入れてくれた人。いまのさんまさんを我々がお茶の間で観ているのは、この方のおかげですね。
    お疲れ様でした、ご冥福をお祈りいたします。
  • 笑福亭松鶴、桂文枝、桂米朝、桂春団治、笑福亭松之助さん。
    昭和に消えかけていた上方落語を守ってくださった先達が、みなさん鬼籍に入られた。
    この方たちが、仁鶴、当代文枝、ざこば、南光、鶴光、文珍、鶴瓶、さんま、春之輔、八方、故枝雀、雀々、米團治らを育ててくださった。ありがとうございました。

などのコメントが寄せられています。

笑福亭松之助さんは明石家さんまさんと共演している姿が特に印象に残っており、2016年4月放送の『さんまのまんま』で師弟共演した際にさんまさんは、「世界で一番気を使うゲストやわ」などとボヤいていたのですが、関係の良さがうかがえるトークを披露しており、あのさんまさんも相当大きなショックを受けているでしょうね…。

3年前の時点では元気な姿を見せており、今後また2人がテレビなどでトークする姿が見たかっただけに残念でなりません。

笑福亭松之助さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

参照元
  • https://www.sankei.com/life/news/190222/lif1902220057-n1.html
  • https://mainichi.jp/articles/20190222/k00/00m/040/255000c
  • https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201902/0012089522.shtml
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