俳優・椎名桔平さんの元妻で、女優・山本未來さん(やまもと・みらい 45歳)が27日に、ファッションデザイナーの父親・山本寛斎さん(やまもと・かんさい)が21日に亡くなったことを明らかにしました。76歳でした。
山本未來さんはインスタグラム上で、「山本寛齋は去る7月21日、 私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました。」と訃報を伝え、「生前中の父・山本寛齋と関わってくださった関係者の皆さま、医療関係者の皆さま、応援してくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます。」と綴っています。
今後については、「女優業を継続する傍ら、2020年、年初より加わりました山本寛齋率いる『KANSAI SUPER STUDIO』にて父・寛齋の“元気”をスタッフと共に継承していきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。」
としています。
<↓の画像は、山本寛斎さんと次女・山本未來さんの写真>
また、山本寛斎さんのインスタグラムでも訃報を伝えており、死因は今年3月に公表した「急性骨髄性白血病」とのことです。
山本寛斎さんは今年3月に更新のインスタグラムで、2月に「急性骨髄性白血病」と診断されたことや、現在入院治療を行っていることを明らかにし、「診断を受けた当初はとても驚きましたが、まずは入院生活を明るく楽しく過ごそうと思い、とびきりカラフルなパジャマを用意することから始めました。今まで様々なことにチャレンジし続けてまいりましたので、今回のことも新たな挑戦と捉え、前向きに治療に励んでおります。」
と報告していました。
病気療養中も新プロジェクト発表に向けて準備を進めていることを明かし、「これからも世界中の人々に元気をお届けするため、『スーパー元気な山本寛斎』になって必ず戻ってきます!皆さん楽しみに待っていて下さい!」
と呼びかけていました。
<↓の画像が、3月に白血病を公表時点での山本寛斎さんの写真>
6月には、新型コロナウイルスの影響で『日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー!!』をオンラインで7月末に開催することを発表し、「闘病中の今、身をもって“ファッションには人を元氣にするチカラがある!!” ということを実感しております。(中略)私にとって、現在のワクワク・ドキドキは、一日でも早く退院し、“晴れ着姿のカンサイ” を皆さまにご披露したいということです。」
といったコメントを投稿していたのですが、イベントの10日前に亡くなったことが今回明らかにされました。
なお、『日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー!!』は予定通り開催されるといい、女優・夏木マリさんや土屋アンナさん、歌舞伎俳優・市川右團次さん、タレントのハリー杉山さん、モデルのモトーラ世理奈さん、平田かのんさん、遠藤さくらさん等が出演予定で、イベントの模様は7月31日20時からYouTubeなどでライブ配信予定となっています。
そして、山本寛斎さんの訃報を受けてネット上では、
- 京成沿線民としてはスカイライナーのデザインのかっこよさが印象的でした。ご冥福をお祈りします。
- 驚きました。カンサイヤマモトの名前を世界に知らしめた日本を代表するファッションデザイナーでした。
ご本人ももっと活躍していきたかったことだと思います、本当に残念です。心からお悔やみを申し上げます - 日本が世界に誇るデザイナーだと思います。とても残念の一言では表しきれません。
山本寛斎さんのデザインはきっとたくさんの人の記憶、心に残っていると思います。 - 病魔におかされてもイベントの準備をしていたなんて、ほんとに頭が下がります。まして、高齢なのに。夢とか目指すものがあれば、人ってずっと若くいられるんですね。
ほんとにお疲れ様でした。ゆっくりお過ごしください。 - 母校の制服のデザインが寛斎さんでした。シンプルだけど、可愛いデザイン。とても印象的だったのを覚えてます。
YOSAKOIソーラン祭りでもとあるチームの衣装を手掛けたのも寛斎さん。あの衣装も素晴らしかったです。もっと活躍してほしかったです。非常に残念です。
お悔やみ申し上げます。
などと死を悼む声が上がっています。
山本寛斎さんは洋服縫製業をしていた父親の影響で、学生時代から縫製の手伝いをするようになり、デザイナーのコシノジュンコさんや細野久さんの下で修行を積み、1971年に独立してイギリス・ロンドンで日本人初のファッションショーを開催、1973年にはロックミュージシャンのデヴィッド・ボウイさんの衣装も手掛けました。
また、全国各地の中学・高校の制服デザインや、2010年に開業の京成電鉄・成田スカイアクセスの車両デザインを手掛けるなど、幅広く活躍し、山本未來さんと椎名桔平さんの挙式・披露宴でも衣装デザインを担当していました。
<↓の画像が、2004年の結婚式での椎名桔平さん、山本未來さんの写真>
芸能事務所『太田プロダクション』に所属する山本寛斎さんはバラエティ番組などにも出演し、いつも笑顔で明るく元気というイメージが強く残っており、「急性骨髄性白血病」を発症を公表した際には驚いたものの、病気を克服して再び元気な姿を見せてくれるだろうと思っていました。
それだけに、白血病と診断されてから5ヶ月で亡くなったことには驚きましたし、イベント開催前に力尽きてしまったのは非常に残念ではありますが、山本未來さんが『KANSAI SUPER STUDIO(株式会社寛斎スーパースタジオ)』を継承していくとしており、あの世でゆっくりと休みながら、未來さんやスタッフたちの活動を見守ってあげてほしいですね。
山本寛斎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。