プロ野球『中日ドラゴンズ 』や『日本ハムファイターズ』でプレーし、現役引退後は指導者や野球解説者として活躍していた大島康徳さん(おおしま・やすのり)が、6月30日に亡くなられたことが分かりました。70歳でした。
大島康徳さんの死因は「大腸ガン」で、大島康徳さんは2017年2月に自身のブログ上で、2016年10月に「ステージ4の大腸ガン」が判明し手術を受けたことや、すでに「肝臓にもガンが転移」していて、治療をしなかった場合は「余命1年」と宣告されたことなどを告白しました。
ただ、その後も闘病しながら仕事を続け、2018年には闘病生活などを記した著書『がんでも人生フルスイング「中高年ガン」と共に生きる“患者と家族”の教科書』を出版したり、ブログ更新を続けながら現在の状況を報告していました。
今年6月には、溜まった腹水を抜く治療から一時退院するも、ガンが肺にも転移していたことを告白し、「実はね 前から言ってたこと 肝臓の転移以外にも疑わしきがちらほらとは最初から言われてて…今だから言いますが 肺だったんですよね。小さいのがポツポツ。でもね疑わしきの期間が結構長くて 今だって大して成長してない。これは本当。」
と綴っていました。
<↓の画像は、6月にブログで公開の大島康徳さんの写真>
大島康徳さんは肺へのガン転移を公表後もブログ更新を続けていましたが、大島さんの希望で、在宅医療に切り替えてから4日後の6月28日の投稿では「ブログを書くことがきつくなってきました」とし、元CAの妻・奈保美さんに代筆を頼み、それ以降は奈保美さんが本人に代わって更新を行っていました。
<↓の画像は、大島康徳さんと妻・奈保美さん、お笑い芸人の長男・雅斗さんの写真>
しかし、6月29日21時の投稿を最後に更新がストップしていたため、ファンからは心配の声が上がっていたのですが、6月30日に亡くなられていたことが分かりました。
そして、大島康徳さんの訃報が伝えられた7月5日には、今年春ごろに大島さんが記したという言葉を妻・奈保美さんが公開し、【この命を生ききる】とのタイトルで、「この年になるまで野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。」「楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む?もう何もないよ。幸せな人生だった」「命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで俺はいつも通りに普通に生きて自分の人生を、命をしっかり生ききるよ」
などと綴っています。
大島康徳さんの最後の仕事は、6月12日にNHK BS1で中継されたメジャーリーグ『ロサンゼルス・エンゼルス×アリゾナ・ダイヤモンドバックス』戦でしたが、視聴者から「声がかすれている」「聞き取りずらい」などの声が上がっていました。
それから約20日後に亡くなったことが明らかとなりネット上では、
- ついにこの日が来てしまったか…残念、無念。現役時代の活躍、監督になってからの明るく熱血的な姿。決して忘れません。本当にお疲れ様でした。
- 最後まで素晴らしいファイトでした。勇気ある発信に敬意を表します。ありがとうございました。ゆっくり休んでください。
- 「余命1年」と言われてこれだけ頑張ったんだ……。それだけでも十分「ガンに負けなかった」と言っていいと思う。
本当にお疲れ様でした。これからは天国で野球界を見守ってください。 - ちょっと前までNHK-BSで解説をされていたのに…マリナーズの岩隈がノーノーを達成した試合を解説されていて、自分の事のように喜んでいたのが印象的でした。ご冥福をお祈りします。
- 先月かな。エンゼルスの試合も解説してて、大谷選手のことも楽しそうに語っておられた。
ただただ残念です。ご冥福をお祈りいたします。 - あれだけ闘病生活で頑張ってたから復活を信じてました。相当苦しかったと思いますが、願い叶わずで残念です。ご冥福をお祈りします。
今まで解説などで野球ファンを楽しませてくれてありがとうございました! - 大島選手、現役時代から、今に至るまで、勇気を与えてくださりありがとうございました。
勝負強さ、最後まで素晴らしかったです!安らかにお眠りください。
などの声が上がっています。
大島康徳さんは高校3年時の1968年に『中日ドラゴンズ』の入団テストで合格し、ドラフト会議で3位指名されて入団、3年目の1971年に一軍初出場し、1979年には最多安打、1983年にはホームラン王のタイトルを獲得し、1988年には『日本ハムファイターズ』へ移籍、1994年に43歳で現役を引退しました。
通算成績は、2638試合出場で打率.272、2204安打、382本塁打、1234打点となっており、代打でのシーズン7本塁打や、43歳6ヶ月での最年長満塁本塁打記録は現在も塗り替えられていません。
現役引退後は野球解説者として活躍し、2000~2002年には『日本ハムファイターズ』の監督を務め、2006年の『第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』では打撃コーチに抜擢されました。
そして、亡くなる直前まで野球解説者・評論家としての活躍を続け、その裏では懸命にガン闘病をする姿に、勇気をもらったとの声が多く上がっています。
24年にわたる現役生活を終えた後も、プロ野球に携わる活動を続け、多くの野球ファンから愛されていた方だっただけに、70歳で亡くなられてしまったのは非常に残念ですが、これからあの世でゆっくりと休んでほしいです。
大島康徳さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。