女優・樹木希林さん(2018年9月15日没 享年75)の夫で、ロックミュージシャンの内田裕也さん(本名=内田雄也)が17日午前5時33分に、肺炎のため東京都内の入院先の病院で亡くなられたことが分かりました。79歳でした。
関係者によれば、内田裕也さんの体調は16日までは落ち着いていて元気な様子だったといい、入院していた病院へ見舞いに訪れた家族とも会話を交わし、昼にはオムライスを食べていたそうです。
<↓の画像は、内田裕也さんの家族写真>
しかし、17日に体調が急変し、病院から連絡を受けた1人娘でエッセイスト・女優の内田也哉子さん、娘婿で俳優・本木雅弘さんが駆け付けたものの間に合わず、最期を看取ることはできなかったといいます。
内田裕也さんの個人事務所『株式会社 内田裕也オフィス』の発表によると、葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を行う予定とのことです。
<↓の画像は、『内田裕也オフィス』発表の公式コメント全文の写真>
内田裕也さんは数年前から病気やケガと闘う日々が続いており、2016年11月には滞在先のイギリス・ロンドンのホテル浴室で転倒して尾てい骨を強打し、2017年夏には屋外で転倒したことで右足甲と肋骨を骨折して入院、同11月には都内のホテルで暖房を入れたまま寝てしまったことで脱水症状を起こし、病院に緊急搬送されて入院するなどしており、こうした病気やケガによって晩年は移動の際に車イスを使用していました。
<↓の画像は、昨年10月撮影の内田裕也さんの写真>
こうして満身創痍の状態になりながらも、完全復帰を目指してリハビリに励んでいましたが、年齢には勝てず体力の低下が続き、毎年恒例となっている自身主催の年越しライブ『ニューイヤーロックフェスティバル』も2017年からは車イスで出演し、スタッフに支えられながら何とか立ち上がってパフォーマンスを行い、今年のライブでは予定よりも2曲多い4曲を披露していました。
一方で、2012年から毎年参列していた東日本大震災の追悼式は今年欠席していました。
内田裕也さんはアメリカのミュージシャン・俳優エルビス・プレスリーさんに憧れて高校を中退し、1957年から音楽活動をスタートさせ、1966年のビートルズ来日公演では、俳優・ミュージシャンの尾藤イサオさんとのツインボーカルバンドで前座を務めました。
同年には、大阪のジャズ喫茶で活動していた歌手・沢田研二さんらをスカウトし、そのメンバーは後にグループサウンズ『ザ・タイガース』として1967年にデビューしました。
また、1967年にはロックバンド『内田裕也とザ・フラワーズ』(後に『フラワー・トラベリン・バンド』として再編成)を結成し、リリースした作品がカナダのチャートで8位にランクインするなど、海外でも活躍していました。
1970年代には映画俳優としても活躍し、1973年10月には、ミュージシャン・かまやつひろしさんの紹介で知り合った樹木希林さんとスピード結婚しました。
<↓の画像は、内田裕也さんと樹木希林さんの婚約会見時の写真>
しかし、内田裕也さんの家庭内暴力などが原因で結婚から1年半で別居生活となり、1976年2月には長女・内田也哉子さんが誕生しましたが、1981年に内田さん側が一方的に婚姻届を提出し、これに対して樹木希林さんが訴訟を起こして離婚成立を阻止するという騒動もありました。
その後も夫婦は別居生活を続け、内田裕也さんは1977年に大麻取締法違反、1983年には銃刀法違反、2011年には住居侵入と強要未遂容疑で逮捕されましたが、樹木希林さんはそれでも最期まで内田さんとは離婚しませんでした。
こうした常識に囚われない不思議な関係にあった夫婦は、非常に強い絆で結ばれていたようで、昨年9月に樹木希林さんを亡くした内田裕也さんは非常に大きなショックを受けていたといいます。
そして、樹木希林さんが亡くなってから半年後に、内田裕也さんも後を追うようにして亡くなり、内田さんの訃報に対してネット上では、
- まさに、後を追うようにという言葉がふさわしい。何十年も別居して、傍目には奇妙な夫婦でしたが、他人にはわからない絆はあったのでしょうね。ご冥福をお祈り申し上げます。
- 長年の別居でも夫婦にしかわからない絆があるのだと改めて感じました。娘さんは1年の間にご両親が亡くなられて心中お察しします。合掌。
- 希林さんが裕也さんと会えて喜んでいらっしゃるかもと不謹慎にも思ってしまった。お二人は本当に深いご夫婦だったんだなと思った。
- 希林さんが生前に“連れて行く”と仰っていらしたので、本当に心配で連れて行ってしまわれたのかと思う。
残されたこちらは寂しいけれど、裕也さんは愛されていたのだなあ。 - 平成が終わるこの年に、去っていかれたのか。思い起こすどの裕也さんも、ロックでちょっと面白くて人気者でしたね。
お婿さんのもっくんが自宅前で暴れる裕也さんを確保した話は、何度聞いても笑顔を誘う。
也哉子さんにとっては、一年もたたずしてご両親を亡くされてお気の毒だ。ひとつの時代が終わった、そんな感じがして寂しいね。
などのコメントが寄せられています。
内田裕也さんはデビューからこれまでに様々な騒動を起こし、決してイメージは良くない方でしたが、生涯にわたってロックンロースをこよなく愛し、「ロッケンロール」「よろしくロックンロール」「シェケナベイベー」などが口癖で、どこか憎めない部分があったことから、亡くなったと聞いて非常に寂しい気持ちになりました。
長年別居状態だった樹木希林さんが亡くなった後も気丈に振る舞い、満身創痍ながらライブに出演するなどしていましたが、体力の低下に加えて、心の支えだった希林さんが亡くなったことによる精神的ダメージはかなり大きく、後を追うようにして亡くなられてしまったのかもしれませんね…。
内田裕也さんは非常にキャラが濃く、他に似たような方がいない唯一無二の存在で、良くも悪くも様々な騒動で注目を集めていた方だっただけに、亡くなられてしまったのは残念でなりませんが、あの世で樹木希林さんと再会していることを願うばかりです。
内田裕也さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。