芸トピ

輪島が亡くなる。生ダラ出演やプロレスラーでも活躍。昭和の大横綱が急死に相撲ファンは…

元横綱・輪島大士が死去、死因は? 引退後に下咽頭ガンで声失う。ライバル・北の湖の後追い亡くなる

第54代横綱で、プロレスラー・タレントとしても活動した輪島大士さん(わじま・ひろし 本名=輪島博)が、亡くなられていたことが9日に明らかになりました。70歳でした。

現時点で死因などについては明らかにされていません。

輪島大士さんは石川県に生まれ、金沢高校と日本大学の相撲部で活躍し、高校1年生で国体優勝、日大進学後の1968年と1969年には、2年連続で学生横綱になるなど14個のタイトルを獲得し、日大卒業前の1970年に花籠部屋(2012年に経営難で峰崎部屋に吸収合併)へ入門、幕下では2場所連続の全勝優勝を果たし、当時史上最短タイ記録で十両入りを果たしました。

1972年の9月場所後には、初代・貴乃花の貴ノ花利彰さん(本名=花田満 2005年5月死去 享年55)と共に大関昇進、1973年の5月場所では全勝優勝を果たし、初土俵からわずか3年半という異例のスピードで横綱に昇進しました。

2015年11月20日に亡くなった第55代横綱で、『日本相撲協会』の前理事長・北の湖敏満さん(本名=小畑敏満 享年62)とはライバル関係にあり、輪島大士さんと北の湖さんが横綱として好勝負を繰り広げて「輪湖(りんこ)時代」を築き、通算成績は輪島さんの23勝21敗とほぼ互角の勝負を現役最後まで見せていました。

<↓の画像が、現役時代の輪島大士さんの写真>

輪島大士さんは1981年の3月場所をもって現役を引退し、横綱在位期間は47場所、優勝回数は14回で歴代7位、殊勲賞を3回、敢闘賞を2回受賞し、通算成績は673勝234敗(幕内の成績:620勝213敗)でした。

現役引退後は花籠部屋を継承して親方になりましたが、1985年には年寄名跡「花籠」を妹が経営する料亭の借金の担保にしていたことが発覚、その他にも様々な金銭問題もあり、それらが原因で同12月に相撲協会を退職、1986年に『全日本プロレス』へと入門しましたが、2年後の1988年12月にプロレスからも引退しました。

<↓の画像は、プロレスラー時代の輪島大士さんの写真>

以降は、とんねるずが出演の人気バラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)に出演するなどタレント活動も始めたほか、アメリカンフットボールチーム『ROCBULL』の総監督、キューバの相撲ナショナルチーム監督を務めるなど、現役引退後は幅広い活動をしていました。

しかし、2013年に下咽頭ガンが見つかったことで手術を受け、これによって発生が困難な状態になってしまい、2015年11月に直腸ガンによる多臓器不全で北の湖さんが亡くなった際には文書でコメントを出し、「最近理事長は元気だと聞いたばかりなので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが先に逝かれて寂しい」「昔のライバルが、相撲界で頑張り続けている事が嬉しかった。俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れ様と言いたい」と追悼していました。

<↓の画像は、2014年10月撮影の輪島大士さんの写真>

それから3年後に輪島大士さんの訃報が伝えられネット上では、

などのコメントが寄せられています。

現役時代を知る相撲ファンだけでなく、プロレスファンやタレント時代の姿を見ていた方からも悲しむ声が多く上がっており、幅広い層から愛されていた方だったんだなと改めて感じます。

『生ダラ』では、カートレース企画などで共演していたとんねるず・石橋貴明さん、元プロ野球選手・定岡正二さんら共演者たちに色々とイジられながらも怒らず、優しい笑顔を見せていたという印象が残っています。

ここしばらくテレビでも姿を見なくなり、友人で又従兄弟の元プロボクサー・輪島功一さんの姿を見た際などに、ふと思い出して輪島大士さんは今何をしているんだろうと思ったこともあり、今回の突然の訃報には驚きました。

北の湖さんは62歳で亡くなり、3年後には輪島大士さんがこの世を去り、昭和を代表する大横綱が相次いで亡くなってしまうというのは寂しい限りですが、これからゆっくりとあの世で休んでほしいと思います。

輪島大士さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

関連記事

カテゴリー

  1. 噂・疑惑
  2. 事件・事故・トラブル
  3. テレビ番組・映画
  4. 熱愛・結婚・妊娠
  5. ジャニーズ
  6. 音楽
  7. アイドル
  8. スポーツ
  9. 不倫・浮気
  10. 破局・離婚
  11. アナウンサー
  12. 出産・ママタレ・子育て
  13. 雑ネタ
  14. 暴露
  15. 訃報
  16. 海外