『だめんず・うぉ~か~』等の作品で知られる漫画家・倉田真由美さん(52)の夫で、「すい臓ガン ステージ4」で余命宣告も受けていた映画プロデューサー・叶井俊太郎さん(かない・しゅんたろう)が、16日に亡くなられたことが分かりました。56歳でした。
ニュースサイト『NEWSポストセブン』の取材によると、叶井俊太郎さんは16日夜に容態が悪化し、23時ごろに東京都内の自宅で倉田真由美さんに看取られ、息を引き取ったとのことです。
<↓の画像は、倉田真由美さんと叶井俊太郎さんの写真>
叶井俊太郎さんは1991年に洋画配給会社『ニューセレクト』に入社し、1994年に系列の『アルバトロス』へ異動、その後2001年に買い付けたフランス映画『アメリ』が大ヒットし、2004年に映画会社『ファントム・フィルム』を設立、翌年には退社して新たに『トルネード・フィルム』を設立しました。
独立後は『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』などの作品を企画・プロデュースし注目を集めましたが、ファントム・フィルムは2010年に約4億円の負債を抱えて破産、叶井俊太郎さんも自己破産し、その後は映画関係のコラムニストとして活動していました。
一方の私生活では3度の離婚を経て2009年9月に、小説家・エッセイストの中村うさぎさん(65)の紹介で知り合った、バツイチで当時9歳の息子がいた倉田真由美さんとできちゃった結婚し、同11月に長女(14)が誕生しました。
<↓の画像は、2013年撮影の倉田真由美さんと叶井俊太郎さんの写真>
そして、4度目の結婚から13年後の2022年6月に、皮膚などが黄色くなる黄疸(おうだん)症状がきっかけで検査を受けた結果、すい臓ガン(ステージ3)が発覚、肝臓への転移もみられる末期状態で、医師からは「余命は半年で、もって1年です」と余命宣告も受けましたが、「10~20%の可能性にかけて痛い思いをしたくない」として抗ガン剤治療や手術を拒否して免疫療法などを受け、余命宣告から1年半以上にわたり活動を続けていました。
<↓の画像は、昨年12月に『第1回東京国際叶井俊太郎映画祭』出席時の叶井俊太郎さんの写真>
そんな叶井俊太郎さんの訃報を受けてネット上では、
- 少し前まではほんとにがんなのかな?なんて思って、数日前に体調が悪化して、そして今日ですか…。一気に変わっちゃうんだなぁ…
- すい臓癌って見つかりにくい箇所にあるから見つかっても進んだ事が多いんだよね。
父親は70歳で見つかってから1ヵ月で亡くなった。 - 大病になりながら少しの延命より仕事を選び、医師の余命よりずっと生きて仕事をして、自分らしく生きた立派な人生だった。
天晴れな生き方、天晴れな最期だと思うよ。ご冥福をお祈りします。 - 叶井さん、私と同年代で実家も近くちょっと親近感ありました。くらたまさんと出会えたことで充実した人生送れてよかったですね。ご冥福をお祈りします
- 最高の夫で最高の父ちゃんでした。結婚当初は周りから散々女癖の悪さを指摘されていましたが、そんな父ちゃんと一緒にいられてよかったですね。お悔やみ申し上げます。
などの声が上がっています。
叶井俊太郎さんはすい臓ガンが発覚後も普通の生活を送り、昨年12月までイベントに出席したり、様々なメディアのインタビュー取材を受けるなど精力的に活動していました。
ただ、病気の進行や体力の低下によって、出来ることなら動きたくないと思うほどの状態になっていることをインタビューで明かしており、昨年12月時点では「今は会社に滞在できるのは1~2時間かな。疲れやすいし、夕方になってくると完全に動かなくなる」などと現状を明かしていました。
今年1月には初めてお腹に溜まった腹水を抜き、それから1ヶ月後に倉田真由美さんが介護情報サイト『介護ポストセブン』の連載で、2月に入ってから急激に体調が悪化していることを明かし、ガンが原因で起きる発熱症状「腫瘍熱」を発症したり、数日前までは自転車に乗れたものの、自転車にまたがったまま倒れ込んでしまうなど、想像をはるかに超えるスピードで状態が悪化しているとしていました。
亡くなる数日前からはお腹周辺に激痛が走り、それ以降は食事も摂れずに寝たきり状態となり、そして毎日100回前後、胃液と血を吐き続けるなどしていて、14日時点で医師から「今日持つかどうかも分からない状態」と告げられていたそうです。
それから2日後に亡くなり、叶井俊太郎さんは50代後半で、まだこれからという年齢だっただけに残念でなりませんが、余命半年と宣告されながら1年以上も長く生き、倉田真由美さんに看取られて最期を迎えられたのは何よりで、あの世でゆっくりと休んでほしいと思います。
叶井俊太郎さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。