人間国宝の歌舞伎俳優・中村吉右衛門さん(なかむら・きちえもん 本名=波野辰次郎)が、11月28日に亡くなっていたことが分かりました。77歳でした。
『松竹』の発表によると、中村吉右衛門さんの死因は「心不全」で、入院先の病院で11月28日18時43分に息を引き取り、葬儀・告別式は親族で執り行われるとのことです。
中村吉右衛門さんの訃報を受けて、兄の2代目・松本白鸚さん(まつもと・はくおう 前名=9代目・松本幸四郎 79歳)、甥の10代目・松本幸四郎さん(前名=7代目・市川染五郎 48歳)、吉右衛門さんの4女・瓔子さん(ようこ)の義親でもある7代目・尾上菊五郎さん(79)がコメントを発表しています。
松本白鸚さんは、「別れは何時の刻も悲しいものです。 今、とても悲しいです。 たった一人の弟ですから。幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。播磨屋の祖父そっくりでした。」
としています。
<↓の画像は、松本白鸚さんの写真>
尾上菊五郎さんは、「再び、一緒に舞台に立てることを願っていましたので残念でなりません。これまで幾度も同じ舞台に立ちましたが、菊之助の結婚を機に、縁あって親戚となり、孫の丑之助も生まれ、初お目見得や初舞台では共に孫の成長を喜び合いました。平成最後の舞台では『鈴ヶ森』で私が白井権八、播磨屋さんが幡随院長兵衛 を勤めたのも深く印象に残っています。 本当にお疲れ様でした。」
と追悼しています。
<↓の画像は、尾上菊五郎さんの写真>
松本幸四郎さんは、「叔父のお顔を見た時、初めて涙が溢れてきました。80 歳で「勧進帳」の弁慶を勤める。必ず復活されてご自身の目標に向かわれる日が来ると信じていましたので、訃報を聞いてすぐにはこの事実を受け入れられる自分ではありませんでした。叔父は先人を敬い、その芸を体現し、芸術である歌舞伎を進化されてこられました。叔父の芸を永遠のものにするために、教えていただいた我々がその情熱を心に刻み舞台を勤めて参ります。いずれも様には、叔父をご愛顧くださり心より御礼申し上げます。」
としています。
<↓の画像は、松本幸四郎さんの写真>
中村吉右衛門さんは今年3月28日に『三月大歌舞伎』に出演後、ホテルのレストランで急性の心臓発作を起こし、心肺停止状態で病院に救急搬送され、一命は取り留めましたが入院治療を続け、5・7月に出演予定していた歌舞伎座での舞台も降板し、当面治療に専念するとしていました。
そして、心臓発作で倒れてから8ヶ月後に亡くなったことが明らかとなりネット上では、
- 中村吉右衛門さんの鬼平をもう一度みたかった
- ショック。歌舞伎はもちろん、新作時代劇での名演をまだまだ拝見したかった
- 鬼平犯科帳、大好きでした。ユーモアと色気のある独特な雰囲気…。唯一無二の存在
- 尾上菊五郎さんとともに、お孫さんとの共演を楽しみにされていたはずなのに残念
- 鬼平犯科帳の長谷川平蔵役は、人情味も威厳や迫力も表現されていて、中村吉右衛門以外は考えられないほど大好きでした。ご冥福をお祈りいたします。
- 歴代の長谷川平蔵役で最も原作に近い雰囲気を持っていた。中村吉右衛門さんの凛々しいお姿を拝見出来ないのは残念
などの声が上がっています。
中村吉右衛門さんは、8代目・松本幸四郎さんの次男として生まれ、母方の祖父である初代・中村吉右衛門さんの養子となり、1961年に父、兄と共に『松竹』から『東宝』へ移籍し、1966年に2代目・中村吉右衛門を襲名しました。
東宝時代には歌舞伎だけでなく、現代劇やミュージカルなどにも出演していましたが、1974年に歌舞伎に専念するために『松竹』へ復帰、その後も時代劇『鬼平犯科帳』シリーズ、『武蔵坊弁慶』、『斬り捨て御免!』『忠臣蔵』など、数多くのドラマや映画、CMにも出演し、2011年に人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定され、2017年には文化功労者となりました。
<↓の画像は、『鬼平犯科帳』で長谷川平蔵を演じていた中村吉右衛門さんの写真>
そんな中村吉右衛門さんが今年3月に心臓発作で倒れ、その後も入院治療が続いていたのですが、11月に週刊誌『週刊女性』が報じた記事では、「だいぶ元気になっていて、当面の間はリハビリに専念する必要があるといわれている」との情報を伝えていました。
また、復帰時期は早くて来年春ごろとしていたのですが、舞台に復帰することなく亡くなってしまったというのは非常に残念です。
中村吉右衛門さんは歌舞伎役者としての活躍はもちろんのこと、時代劇を中心にテレビドラマ等でも長年にわたって活躍を続け、『鬼平犯科帳』で演じていた長谷川平蔵の姿などが強く印象に残っており、吉右衛門さんの演技をもう見ることができないというのは寂しい限りです。
中村吉右衛門さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。