歌手・橋幸夫さん(はし・ゆきお 本名=橋幸男 74歳)が、昨年12月に熟年離婚していたことが分かったと1日付の『デイリースポーツ』と『日刊スポーツ』が報じています。
橋幸夫さんは1971年1月26日に、『日本航空(JAL)』の国際線CAだった凡子さん(なみこ 旧姓=緒方 70歳)と結婚し、1974年ごろ?に長女、1977年9月に元俳優の長男・龍吾さん(りゅうご 40歳)が誕生しており、現在は3人の孫がいるそうです。
<↓の画像が、1971年1月に結婚式を行った際の橋幸夫さん・凡子さんのツーショット写真>
出会いは飛行機内だったといい、橋幸夫さんがハワイに向かうために乗った便で当時CAの凡子さんが対応し、帰国の便でも一緒になったことから意気投合したそうで、橋さんは運命的な出会いを感じ、凡子さんも橋さんのファンだったことから交際をスタートさせ、この出会いから約2年半後に結婚となりました。
<↓の画像は、結婚当時のツーショット写真>
<↓の画像は、元俳優の長男・橋龍吾さんの写真>
凡子さんは結婚後、1982年4月~1985年3月までワイドショー番組『ワイドワイドフジ』の司会を務めたり、エッセイストとして活動し、2001年2月には夫婦で綴った『別れなかった理由 : 夫婦の絆を求めて』という本を出版しています。
また、凡子さんは80歳を越えてから認知症になった姑・サクさん(橋幸夫さんの母 平成2年に死去)を引き取り、介護をした体験から講演・執筆活動を現在も行っています。
<↓の画像が、橋幸夫さんと離婚した凡子さんの写真>
15年ほど前までは夫婦で本を出すなど仲睦まじい様子だったのですが、2016年11月から夫婦は別居しており、話し合いを重ねた末に離婚に至ったとのことです。
関係者の話しによれば、橋幸夫さんが所有していた東京都内の貸しスタジオや自宅が入るビルなどに関しては、財産分与の代わりとして凡子さんに渡ったとみられ、自宅の表札からもすでに橋さんの名前は無くなり、凡子さんの名前だけとなっているそうです。
橋幸夫さんは過去に『デイリースポーツ』の取材に対して、「人生の最後は、ひっそり1人で自由な生き方をしたい」と明かし、凡子さんとの関係については「相性は悪いですけどね(笑)。運命学的に調べたら、いいのだけど。性格は水と油。奇想天外的なことを考えているし、向こうも僕のことは理解できないようです」と冗談交じりに語っていたそうなのですが、結婚から約47年で離婚を決意したようです。
私生活での変化は仕事にも変化をもたらしているようで、凡子さんら親族が経営に携わっていた個人事務所の体制を一新し、昨年2月に会社名を変更し再出発しているといい、今年2月下旬にはアメリカ・ハワイでファンクラブツアーを開催するなど精力的に活動をしているとのことです。
そして、橋幸夫さんの離婚報道に対してネット上では、
- 人生っていろんな形があるからね。
- 老後のお金の心配もなく旦那の面倒もみなくて良いなんて、奥さんがうらやましい。
- 金があればこういう選択肢を取りたい老夫婦は多いだろうね。特に性格が合わないなら。
- ビックリしました。ずっとうまくいってるとばかり思ってたから。その年で離婚。きっと老後も心配ない財産があったからこそできた決定なんでしょうね。私も夫婦の相性は同じく水と油。離婚できるものならしたかったけど、もう今はその元気がないなぁ。離婚するには凄いエネルギーがいるって言うじゃないですか?!少し羨ましいです。
- 後妻業の女にひっかかって終焉かな 本人が納得ならそれも良いんだろう
- 俺も熟年離婚しましたが、子供を育て上げればあとは夫婦、それぞれ好きなように生きれば良いと思います。気の合わない相手といつも顔を付き合わせている必要はありません。お互いある程度のお金があれば橋さんのような生き方が自然だと思います。
- 健康で仕事も順調、もともと性格的に合わない、よく今まで我慢してました。愛情は無いし、渡せるものを渡したらきれいさっぱり一人がいいってことになったんでしょうね。真実、うらやましい
などのコメントが寄せられています。
2000年代に入ってから熟年離婚する夫婦が増えているという話をよく耳にするようになりましたが、橋幸夫さんの場合は結婚28年目の時に一度大きな離婚危機を迎えており、そのことを本に綴っています。
橋幸夫さんは結婚28年目に凡子さんから、このままだったら離婚すると宣言され、「夫婦というものをどう考えているのか」「これからの生き方をどうするつもりなのか」という質問状を突きつけられたといい、それから1年にわたって命がけで話し合ったと振り返っています。
凡子さんが結婚生活に不満を爆発させた原因は、橋幸夫さんの奔放な生活ぶりにあったようで、家庭を顧みずに外食したり、お酒やゴルフなどでしょっちゅう出歩くという生活を続け、一方の凡子さんはそんな認知症を患っていた義母の介助、2人の子供を育てており、そうしたことなどが溜まりに溜まってついに結婚30年で爆発したようです。
しかし、この時の離婚危機は何とか乗り越え、和解することができたと本に綴っていたのですが、それからさらに約20年が経ち、夫婦の間に再び溝が生じていたということなのでしょうね。
50年近く連れ添った末に離婚というのも残念な気もしますが、子育てなども全て終えて夫婦ともに自立していることから、お互いのこれからを考え離婚という形になったのだろうと思います。
離婚後は仕事にもさらに力が入っている様子ですし、これからのさらなる活躍に期待したいですね。