昨年2月に、5年ぶりに活動を再開したボーカルユニット『CHEMISTRY(ケミストリー)』の堂珍嘉邦さん(どうちん・よしくに 40歳)が、モデルで妻の堂珍敦子さん(旧姓=森田 40歳)と昨年末に離婚したことを公式サイト上で発表しました。
<↓の画像は、堂珍嘉邦さんと離婚した堂珍敦子さんの写真>
堂珍嘉邦さんは公式サイトで「大切なお知らせ」として、「私堂珍嘉邦は昨年末離婚した事をご報告いたします。この様な形に至るまで、沢山の時間をかけ話し合って来ましたが、お互いの将来を考え別々の道を選択するという結論に至りました。」
と離婚を報告し、今後については「お互い親として変わらず子供達の成長を見守ってまいります。」としています。
<↓の画像が、堂珍嘉邦さんの離婚報告コメント全文の写真>
堂珍嘉邦さんは2004年6月に、当時ファッション誌『JJ』の専属モデルだった堂珍敦子さんとできちゃった結婚し、同12月に第1子となる長男(14)、2007年11月に第2子となる次男(11)、2009年6月に第3子・4子となる双子の三男(9)と長女(9)、2014年2月に第5子となる四男(4)が誕生しましたが、お2人は以前から別居・離婚危機にあるという話が週刊誌やスポーツ紙などに報じられていました。
<↓の画像は、子供たちの写真>
(画像真ん中は中学3年生の長男、一番下は小学校4年生の長女)
第5子が誕生前の2012年4月に『女性セブン』は、2011年末ごろから堂珍嘉邦さんが自宅の大豪邸から姿を消していたことや、2012年3月には堂珍敦子さんがそこから別の家に引っ越し、大豪邸は2億円で売りに出されたとしていました。
その当時、堂珍敦子さんは特に親しい人たちに「長く話し合ったんですけどね。主人と距離を置こうと思って…」と話していたとしていたのですが、『女性セブン』の取材に対して敦子さんの所属事務所『オスカープロモーション』は、「別居は事実無根で、新居で堂珍さんも一緒に暮らすと聞いている」とキッパリと否定していました。
それから2年後に第5子が誕生し、さらに2ヶ月後の2014年4月に『日刊スポーツ』は、夫婦が別居していることや離婚協議を進めていることを報じました。
当時の報道によれば、夫婦が別居を始めたのは2014年1月末からで、2013年12月に堂珍敦子さんの方から離婚話を切り出し、それに応じた堂珍嘉邦さんは神奈川県内の自宅を出たとしていました。
2012年に離婚話が持ち上がった原因は、堂珍敦子さんは結婚し出産後もモデル活動など表に出ることを希望した一方、堂珍嘉邦さんは内助の功による手厚いサポートを求めるなど、すれ違いが生じてしまったことだったそうなのですが、その時は話し合いなどで一度は離婚危機を乗り越えたといいます。
しかし、第5子の妊娠が判明後に堂珍敦子さんの方から「生まれる前に離婚してほしい」と切り出し、離婚協議が始まったとのことなのですが、同紙の取材に対して敦子さんが所属するオスカー側は「本人に確認しましたが、『別居も離婚もない』と話しています」と否定し、一方の堂珍嘉邦さん側は「ノーコメント」としていました。
それから4年以上が経ち、堂珍嘉邦さんが離婚を正式発表しネット上では、
- ずっと、離婚のうわさがありましたが、結局は何が理由なんだろう。奥さん、これから、大変ですね。
- 子どもが何人いても、今は子どものために離婚を留まるって少ないよね…ただ、5人もいたら、1人よりは相当考えたんだろうね…
- 子沢山で円満なイメージがあったけど、分からないものだね。余程のことがあっんだろうな。
- 離婚してたと思ってたらまだしてなかったのね
- 5人も子供がいて離婚ねぇ 辻ちゃんって立派なんだね
- 5人子どもがいて、離婚?まぁ。養育費はいくらでも出しますからって解決方法だな。
などのコメントが寄せられています。
2012年に別居を報じた『女性セブン』の記事では、堂珍敦子さんの知人が夫婦関係が悪化した理由について、「“亭主元気で留守がいい”、とは言いますけど、堂珍さんはあまりにも家庭にいなかった。いてほしいときにいつもいないから、イライラするばかり。だったら、いっそ距離を置いた方がいいと思ったようです」
と語っていました。
その後の『日刊スポーツ』の報道では音楽関係者が、堂珍嘉邦さんは堂珍敦子さんの主張が理解できずに悩んでいたとし、関係修復が困難と判断したことで離婚協議を始めようと考えているとのことでした。
このように夫婦の間ですれ違いがあったとされており、それに加えて夫婦の間に5人も子供がいたことによって、恐らく親権や養育費などをめぐる話し合いが長引き、離婚成立までかなりの時間がかかったのでしょうね。
堂珍敦子さんは5人の子供を抱えながら、資格の取得やトークショーに参加するなど、事務所に所属しながら精力的に活動している様子で、ブログを見る限り5人の子供の親権は敦子さんが持つとみられます。
一方の堂珍嘉邦さんは昨年2月末からケミストリーの活動を再開させ、全国ツアーの開催や新曲のリリースをしています。
残念ながら結婚から14年半で離婚となってしまいましたが、5人の子供たちのことは引き続き2人で支えていってほしいですね。
【追記 1/1 20時53分】
堂珍敦子さんが自身のブログを更新し、堂珍嘉邦さんとの離婚を報告すると共に、今後は芸名を「敦子」に改名することを発表しました。
堂珍敦子さんはブログで、「この度新たな出発をすることとなりました。名前も敦子と変わり、心機一転今後も感謝の心を忘れずに子供達とともに前を向いて頑張っていきます!そんな私の奮闘記をブログを通して楽しんでいただけたら幸いです。」
と離婚と改名を報告しています。
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- https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140423-1289330.html
- https://www.news-postseven.com/archives/20120412_101671.html
- https://www.cyzowoman.com/2012/12/post_7541_1.html
堂珍姓を守ってほしいから、できれば再婚しないでね。