現在病気療養中の俳優・渡哲也さん(わたり・てつや 本名=渡瀬道彦 77歳)が、俳優引退と芸能事務所『石原プロモーション』の閉鎖、石原軍団解散を決断したと16日発売の週刊誌『女性自身』が報じています。
記事では『石原プロモーション』の関係者が、「渡哲也さんが、ついに俳優引退と、石原プロモーションの幕引きを決断したのです」と証言し、その理由については、以前から高齢化が問題視されていたこと、社長に名乗りを上げる人材が現れなかったこと、そして渡哲也さんの体調問題もあるとしています。
『石原プロモーション』は、俳優・歌手の石原裕次郎さん(1987年7月死去 享年52)が1963年1月に設立し、『西部警察シリーズ』『大都会シリーズ』『黒部の太陽』など様々な映画やドラマの制作も手掛け、同事務所に所属する渡哲也さんをはじめ、舘ひろしさん、神田正輝さんらは「石原軍団」の愛称で親しまれています。
<↓の画像は、石原裕次郎さんと石原軍団の写真>
石原裕次郎さんが1987年に亡くなった後には、1971年から副社長を務めていた渡哲也さんが2代目社長に就任し、舘ひろしさんや神田正輝さんは取締役となりました。
2011年3月には、石原裕次郎さんの妻で取締役会長・石原まき子さんを除く取締役5人が退任しており、渡哲也さんは社長を退任した理由について、自身の健康問題や裕次郎さんの23回忌を終えたこと、社長在籍期間が裕次郎さんと同じ24年目を迎え、「それを越えるわけにはいかない」という考えなどを挙げ、その後は再び俳優として事務所に所属することになりました。
しかし、それから6年後の2017年に渡哲也さんが経営陣に復帰し、社長ではなく「相談取締役」として相談役、取締役を兼任する形となっていて、社長の座は空席の状態が続いています。
石原裕次郎さんが亡くなって以降、石原軍団のトップに立ち牽引してきた渡哲也さんは、病との闘いが続いており、1991年には直腸ガンを公表し、手術によって人工肛門を使用していることも明らかになりました。
大きな手術を受けながらも、俳優として様々なドラマや映画に出演し活躍を続けていましたが、2015年6月に急性心筋梗塞を発症して緊急入院、手術を受けました。
それから約1ヶ月には退院してCM撮影などに臨んでいましたが、渡哲也さんは他にも肺気腫、喘息(ぜんそく)といった呼吸器系の持病を抱えており、数年前から外出時も酸素吸入器が外せない状態になっています。
<↓の画像は、『女性自身』が4月上旬に撮影した渡哲也さんの写真>
そうした状態にあるため、しばらく仕事を休養して療養生活を送っており、昨年7月に営まれた石原裕次郎さんの32回忌法要は欠席しており、法要前に連絡を取ったという舘ひろしさんは、「一昨日、電話で話して、ずっと暑いんで大丈夫ですかと聞いたら、大丈夫ですと。リハビリを一生懸命、やってくれてます。今日のことも『オレ、出席できなくて悪いな』と申しておりました」と話していました。
なお、渡哲也さんは2015年7月に営まれた29回忌法要も、急性心筋梗塞を1ヶ月前に発症したことにより欠席していました。
<↓の画像は、昨年の32回忌法要に出席した石原まき子会長と石原軍団の写真>
『女性自身』によると、今年4月に『石原プロモーション』の閉鎖を発表する予定だったそうなのですが、まだ移籍先の事務所が決まっていない若手俳優陣もいることや、資産整理のメドも立っていないことから、事務所閉鎖の公式発表はとりあえず延期することが決定したそうです。
そして、『女性自身』は事務所閉鎖、石原軍団解散の真相を確かめるために、『石原プロモーション』の浅野謙治郎・専務取締役に取材を行っており、浅野専務取締役は取材に対して、「現時点では、(幕引きは)決定事項ではありません。石原プロは映画・ドラマ・音楽について多くの版権を持ち管理していますから、会社自体を解散するということはできないのです」
と語ったとしています。
また、『石原プロモーション』の元幹部社員は、「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。つまりほかの“スタープロダクション”のようにはしたくない、ということです」
と話し、かつては大物俳優たちが自身のプロダクションを設立したものの、いずれも経営不振によって倒産、もしくは分裂騒動などを起こしています。
そうした中で、『石原プロモーション』だけはこれまで55年以上にわたって活動を続け、芸能界を代表する事務所の1つとなっています。
石原裕次郎さんの後を継いだ渡哲也さんとしては、「倒産とか分裂とかで、石原裕次郎の名前を汚したくない。」という思いがあるようで、渡さんはすでに社長を退任していますが、もし『石原プロモーション』の閉鎖、石原軍団解散を決定すれば他の社員たちも従うと前出の元幹部社員は語っています。
渡哲也さんは知人に、「2020年までには石原プロの資産を、まき子さんにお戻しする」と話しているそうで、「おそらく今後、石原プロは芸能プロダクションとしての活動を休止し、裕次郎さんを中心にした映像や音源の権利を管理する会社へ移行していくのではないでしょうか」
と芸能プロダクション関係者が憶測しています。
この報道を受けてネット上では、
- 名物軍団解散は寂しいけど、潮時なのかなという感じもする。たくさんのいい思い出に感謝
- 高齢化か。。。あの大門軍団が。。。世の倣えとは言え少し寂しい気もしますね。
あれほど彼らの番組を楽しみに見てきた物にとっては時代の終わりと簡単に思いたくはないですね。しかしどうしようもないんでしょうね。 - 途中で、変に夫人とケンカしたり、渡哲也や舘ひろしの独立とか無くて良かったんじゃ無いかな。あとはしっかり著作権管理をすれば問題ないはず。
- 渡さん自身、体調がすぐれないのに、弟の渡瀬恒彦さんに先立たれメンタル的にもここ数年は厳しいというか苦しい状態が続かれていると思う。
- 若手の育成が上手くいってないよね。今は舘ひろしと神田正輝くらいしか広い知名度は無く、俳優で頑張っているのは舘くらい。
残念だけど後継者が育たなければいずれは無くなってしまう。 - オフィス北野もそうだけど、個人のイメージに支えられ固定された事務職の濃すぎる組織は、代替わりや新陳代謝による存続が難しいのも事実だよね。
逆に考えれば築いたイメージを崩してまでも存続されることが必ずしも良いことだとも思えないので、綺麗に整理し解散できるのであれば、決して悪いことや寂しいことではないのだろう。
などのコメントが寄せられています。
『石原プロモーション』の閉鎖、石原軍団の解散は以前から囁かれており、先日もニュースサイト『日刊大衆』が事務所の閉鎖を報じており、渡哲也さんは以前から会社を畳みたいと公言していたほか、「まき子さんに石原プロをお返ししたい」「今年を区切りにお渡しする」などと話しているとしています。
今後については、石原裕次郎さんが亡くなった7月にも何かしらの発表があるのではないかとし、所属タレントについては、舘ひろしさんは個人事務所を設立、神田正輝さんは大手芸能事務所と業務提携、徳重聡さんは俳優系に強い事務所への移籍が濃厚と言われていることも伝えています。
『石原プロモーション』は設立からこれまでに様々な名作を生み出し、ド派手な演出によるアクション・スタントなどが有名ですが、ここしばらくそうした作品は作られておらず、事務所の将来を担っていく若手の育成にも苦悩していた様子で、全盛期と比較すると事務所の規模は小さくなっていました。
2017年8月には、石原裕次郎さんが幼少期過ごした北海道・小樽に1991年に設立した「石原裕次郎記念館」が、来場者の減少や老朽化などを理由に閉館し、さらに石原軍団の名物となっていた被災地での炊き出しも行われなくなっており、この背景には厳しい台所事情もあるという噂も数年前から出ていました。
現時点ではまだ本当に『石原プロモーション』が閉鎖、石原軍団解散となるのかは定かではありませんが、渡哲也さんの健康問題もあり、近い将来そのような形となるのは事実なのかもしれませんね。