マサカリ投法で知られるプロ野球界のレジェンドで、9月に羽田空港の職員に対する暴行騒動で物議を醸した村田兆治さん(むらた・ちょうじ)が、東京都世田谷区成城9丁目の自宅で発生した火事で亡くなりました。72歳でした。
東京消防庁などの発表によると、11日午前3時15分ごろに「住宅の2階から黒煙と火の手が見える」との119番通報があり、火災発生から約3時間半後に火は消し止められましたが、自宅から発見された村田さんは意識不明の重体で、午前5時57分に搬送先の病院で死亡が確認されたとのことです。
近所に住む70代男性は、午前3時ごろにガラスが割れる音が続き、外に出て確認したところ、村田兆治さんの自宅から火が上がっているのが見えたため通報したと明かしています。
<↓の画像が、村田兆治さんの自宅で火事発生時と鎮火後の写真>
村田兆治さんの死因は、煙を吸引したことによる「一酸化炭素中毒」の疑いがあり、遺体を解剖し死因を特定する見通しといい、出火原因はまだ明らかになっていません。
村田兆治さんは火元とみられる自宅2階で発見され、消防隊員が救出した時点ですでに心肺停止状態だったといいます。
自宅から発見されたのは村田兆治さんだけで、火災発生時は自宅で1人だったとみられるそうです。
そして、村田兆治さんが自宅の火事により亡くなったことにネット上では、
- 悲しい最後 ご冥福をお祈りいたします
- 子供の頃から知ってる選手だし、ファミスタで使ったこともある。わりかしと言うか、かなりショックだなこれ・・・
- あんなに元気だった人が王長嶋より先に死ぬとはな…
- つい最近空港で揉めたニュースがあったばかりなのに…
- 強盗放火事件とかじゃないのか
- 一人暮らしだったのか?寝タバコとかしてたのかな?
- 自分で火を着け…ではないと思いたい 寝タバコでもこんな晩節は悲しいけどな
- 石油ストーブの上で洗濯物乾かそうとして火事になった事例もあったな。あれも高齢者の火災事故
- 事件とか火事とか やはり初期の認知症だったのかね
- 消防団員としてお年寄りの一人暮らしはコレが怖い よって住民の監視が必要になってくる
などの声が上がっています。
村田兆治さんは1967年にドラフト1位で『東京オリオンズ』(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団し、プロ4年目の1971年に村田さんの代名詞となる「マサカリ投法」の原型を編み出し、同年には初めて2ケタ勝利を挙げるなど、チームのエースとして活躍を続け、1975年と1976年に最優秀防御率、1981年に最多勝のタイトルを獲得しました。
1990年に現役を引退するまで活躍を続け、プロ通算成績は604試合の出場で、215勝177敗33セーブ、防御率3.24となっており、この輝かしい成績により名球会と野球殿堂入りをしました。
プロ引退後はNHKで解説者を務めていたほか、1995年~1997年にかけては『福岡ダイエーホークス』(現・福岡ソフトバンクホークス)の1軍投手コーチを務めるなど、野球に携わる活動を続け、全国各地で開催の野球教室で講師も務めていました。
そうした中で今年9月に、北海道で開催の野球イベントに参加するため札幌・千歳空港に向かおうとしたところ、東京・羽田空港の保安検査場で金属探知機に何度も引っ掛かり、30代の女性検査員の右肩を押すなどの行為をしたことで、暴行容疑で現行犯逮捕される事件が発生し、大きな波紋を広げました。
村田兆治さんは事件当時、携帯電話を所持していたほか、新聞を切り抜くためのハサミをスーツケースに入れていたことで事が大きくなってしまったといい、25日に釈放された際に村田さんは、「もう一度、彼女に誠心誠意謝りたい。また、沢山のファンの方々に今回の私の逮捕というには本当に遺憾だと思う。改めてもう一度深くお詫びしてさせていただきます」
などと謝罪しました。
今後の活動については、「75、76で(活動を)辞めようと思っていたけど、人生に引退はない。子供たちのために80まで頑張る。老体にムチを打って骨が折れるかも分からないけど」
とも語っていました。
そんな村田兆治さんが自宅で発生した火事で急死し、ネット上では死を悼む声のほか、火事が発生した原因を巡って様々な憶測が飛び交い、放火など事件性を疑う声や、寝タバコが原因か?との声もあります。
現時点で出火原因や事件性の有無は明らかになっていませんが、『読売新聞』が捜査関係者に取材したところ、「村田さんは消防隊に発見された際、たばこを手に持っていた」と明かしたとのことです。
これがもし事実とすれば、火の不始末が出火原因の可能性が高まり、村田兆治さんは過去に心筋梗塞で2度も救急搬送されているため、喫煙によって心筋梗塞が再発してしまった可能性も出てきますね。
また、村田兆治さんは自宅で1人だったとみられると報じられていますが、週刊誌『週刊文春』が9月末に報じた記事によると、1973年に結婚した2歳年上の妻・淑子さんとは数年前から別居し、村田さんは豪邸で一人暮らしだったそうです。
週刊文春の取材に対しては、「歳も歳ですから。介護の問題とか色々あるしね」と答えていました。
こうした報道からたった1ヶ月半後に亡くなり、プロ野球界のレジェンドがまさかこのような最期を迎えるとは思いもしなかったので大きな衝撃を受けています。
先月には、『ザ・ドリフターズ』の仲本工事さんが交通事故により急死しましたが、直近まで精力的に活動していただけに、こうした形で亡くなってしまったのは残念でなりません。
村田兆治さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。