歌手・俳優の加山雄三さん(本名=池端直亮 80歳)が所有する大型クルーザー『光進丸』(全長25メートル、104トン)が1日夜、係留していた静岡県西伊豆町の安良里漁港で炎上するというトラブルが発生したことを受けて、1日経った2日夜に東京・羽田空港で会見を行いました。
加山雄三さんは1日に沖縄県宜野湾市で『加山雄三 祝!80歳 幸せだなぁ。若大将一夜限りの“全箇所”スペシャルライブ』を開催しており、コンサートが終了後の打ち上げで祝杯をあげる時に連絡があり、光進丸が炎上したという話を聞いた時には言葉を失ったと明かしています。
<↓の画像は、炎上した光進丸の写真>
炎上した原因について聞かれると「原因は私は何も言えない。心当たりもないですし」と答え、船の状況から修復は不可能とみられ、新たに船を造るということも「今は考えられない」と話しています。
光進丸への思いについて聞かれると、「全部…何もかも、私の分身のような存在」と涙ながらに話し、「思い出は…尽きないですね。グアム島にまで行きましたし、夏はいろいろなところに行って、楽しい思い出が多かったので、それが出来なくなった」「人生、ずっと一緒に歩いてきた…辛い」「小さいときからの思い出がいっぱい…」と肩を落としていました。
<↓の画像が、羽田空港で緊急会見を開いた加山雄三さんの写真>
しかし、「海への愛と感謝は変わりません。『光進丸』という曲はこれからも歌います。光進丸ありがとう、心から愛している」と語っていました。
光進丸は“海の男”で知られる加山雄三さんにとっては非常に大きな存在で、1978年にはシングルのタイトルにもなっており、1964年に初代・光進丸を建造し、今回炎上したのは1982年に自身が設計した3代目・光進丸だったとのことです。
<↓の画像が、炎上した加山雄三さんの船『光進丸』の写真>
加山雄三さんは昨年11月にメディアのインタビューを受けた際に、休みが3日以上あれば船の上で過ごし、多い時で月に10日も乗船することを明かしており、様々な有名人たちも船に招待していると話していました。
光進丸の係留地・安良里漁港の近くに住む人によれば、毎年のように安良里漁港を訪れ、地域の人達とも交流を深めていたそうで、漁港に近い町に「加山雄三ミュージアム」を開設し、そこには加山雄三さんが描いた油絵が展示されているほか、光進丸の操縦室を再現したスペースもありました。
そして、光進丸が炎上した原因については、2日夜の時点ではまだ消火活動が行われており、現場検証はこれから行われるとのことから明らかになっていないのですが、船は港から20~30メートル沖合に離れたところで停泊していたため、放火の可能性は低いと見られています。
また、一部でボイラーからの出火と報じられたものの、加山雄三さんの事務所関係者は「光進丸にはボイラーはついておりません」と否定しています。
この他に、電気系統のトラブルが原因なのではないかという説もあり、出火する前の1日13時頃に船を所有する造船会社がエアコンを作動させ、船内の空気を入れ替えるなどの作業を1時間ほど行っていたそうで、これらの作業で何かしらのトラブルがあったのではないかという説もあります。
そして、今回の炎上騒動に対してネット上では、
- もういい年だし、ガクンとこなきゃいいけど
- この人の借金履歴が半端ないのよね 叔父のホテルで数十億円、バブル時にスキー場建設して百億円ほど最近まで返済してた それでこの不幸、晩年まで苦労してこれはない・・・
- この熱を見ると有り金大半叩いてそうで気の毒だ。こっからまた働き蟻のように働いても無理だろう、保険効くのか知らんが
- 発電機の燃料高圧管か圧力計のゲージの銅管が振動で金属疲労起こして破断して引火かな?
- 加山さんにとっては子供のような存在を失った悲しみだろう。ご自身の体調に影響が無ければいいけど、、、
- 長年愛情注いでメンテしたりドレスアップしたりして大事に大事に乗ってきた愛車が燃えたらそりゃショックやろう、、加山さん、元気だしてとか無理な事は言わんよ。ただ船は無くなっても思い出は絶対色褪せへんから!
などのコメントが寄せられています。
加山雄三さんは光進丸について、分身、相棒、子供のような大事な存在だったと話していたほか、船ではライブのリハーサルをしたり、都会でのストレスを発散するために何日も船上で過ごすということをしていたとのことから、「ここはオレにとって家みたいなもの」とも話していました。
それが突然の炎上で失ってしまったわけですからショックの大きさは計り知れないものがあり、今後の音楽活動などにも影響を及ぼしてしまうのではないかと少し心配です。
あまり気落ちせずにまたいつもの元気な姿を一日も早く見せてほしいところですが、それもしばらくは難しいかもしれないですね…。