歌手・中森明菜さん(なかもり・あきな 53歳)の妹で、かつて女優として活動していた中森明穂さん(なかもり・あきほ)が、5月27日に52歳の若さで亡くなられていたことが明らかになりました。
中森明穂さんは6人兄弟姉妹(2男4女)の末っ子で、三女の中森明菜さんとは年子でした。
<↓の画像が、中森明菜さんの妹・中森明穂さんの写真>
中森明菜さんが歌手デビューから5年後の1987年に、ラジオ番組で芸能界デビューを果たし、同年にはドラマ『スケバン保母さん ツッパリ風雲録』や『赤ちゃんに乾杯!』に出演したほか、雑誌『GORO』や『平凡パンチ』などではグラビアを披露しました。
そして、1988年秋には写真集やイメージビデで裸体を披露したのですが、これに対して中森明菜さんは反対し続けていたものの、中森明穂さんは反対を押し切って大胆な姿を披露し、これが原因で2人の仲が悪化して関係を断絶したとされており、明穂さんはこの後に芸能界から姿を消しました。
また、当時週刊誌には男性を巡るトラブルも報じられたことがありましたが、真偽のほどは定かではありません。
<↓の画像は、過去の週刊誌報道の写真>
そんな中森明穂さんが亡くなったことを11日発売の週刊誌『フラッシュ』が報じており、父・中森明男さん(85)が明穂さんの死因や最期の様子などを明らかにしています。
<↓の画像は、中森明穂さん、兄、父・明男さんの写真>
葬儀から8日後の6月6日に『フラッシュ』の直撃取材を受けた明男さんは、中森明穂さんの死因は「肝硬変(かんこうへん)」だったと明かし、「亡くなる2週間ほど前からヘルニアも併発して……。毎日ベッドの上でしゃべったり、看護師さんに付き添われてお風呂に入れてもらったりして、亡くなる2、3日前に見舞いに行った時も元気そうだったんです。亡くなったのは5月27日。急に危篤だからと病院から電話があって……。それで、きょうだいも集まってお見送りしました」
と語っています。
ちなみに、中森明穂さんは独身で、父・明男さんとの2人暮らしだったのですが、2010年ごろに交通事故で右足に大ケガを負い、手術を3回受けたものの、ケガの後遺症で足が不自由となり、引きずるようにしか歩けなくなってしまったとのことです。
中森明穂さんが亡くなってから2日後の5月29日に、東京・清瀬の葬祭ホールで葬儀が営まれたといい、中森家の親族が勢揃いしたそうなのですが、家族とは絶縁状態にある中森明菜さんは参列しなかったといいます。
父・明男さんは、「家族が明菜に知らせようとしたみたいだけど……。『連絡が取れなかった』とか、『都合が悪いみたい』とか言っていました。結局、明菜は来なかったんです」
と語り、中森明穂さんが「姉ちゃんに会いたい」と願っていたことも明らかにしています。
しかし、それは最期まで実現することなく、中森明穂さんは5月27日に亡くなられてしまったのですが、中森明菜さんが家族との関係を絶った背景には、実家や親戚との金銭トラブルがあり、これによって明菜さんと家族の間に大きな溝が生じてしまいました。
<↓の画像は、中森明菜さんと家族の写真>
(中央が中森明菜さん、右隣が中森明穂さん)
そして、中森明菜さんが慕っていた母・千恵子さんが1995年6月に末期ガンで亡くなり、お通夜には参列したそうなのですが、その後明菜さんは家族との連絡を完全に断ったとのことです。
<↓の画像が、中森明菜さんの母・千恵子さん等の写真>
(赤く囲っているのが母・千恵子さん)
2016年5月に『女性自身』の取材に応じた明男さんは、千恵子さんが亡くなる少し前に、中森明菜さんが戸籍を抜いてしまったことや、所属事務所の人間が実家を訪れ、明菜さんの荷物を全て持っていってしまったことも明かしています。
<↓の画像は、父・中森明男さんの写真>
それから3年が経ち、末っ子の中森明穂さんが亡くなり、明男さんは最後に記者に対して、「『ぜひ来てほしい』と明菜に伝えてください。お姉ちゃんたちも会いたがっています。明穂の最期がこういう状態だったということは、明菜に伝えておきたいですから……」
と語っていたとのことです。
この報道を受けてネット上では、
- 明菜さんの両親は、今でいう毒親の典型
- 結局は金なのわかってるから縁切ったんだよ
- 身内の事をペラペラ喋り、一方的な見方を押し付ける家族を持つ明菜さんに同情します。
家庭内、個人的な事を全国に話す父親はとても慕えない。 - 会う、会わないは、それぞれ当事者にしかわからない事情もあるでしょうし、他人が口出せることではないでしょうね。。
- 今は絶版の本『心の履歴書』では、母親は明菜を独立させるとちらつかせ事務所に無断で明菜さんの給料を前借りしてた。
明菜さんが子供の頃にお母さんがお酒を呑みながら「明菜なんていなければ」と言い泣いていた。と語っています
毒親を持つと明菜さんも明穂さんも大変だったと思います - 若い時から親、兄妹から金銭をむしり取られ、明菜は疲れたんでしょう。
身内にも男にも裏切られた傷は深いよ。 - 私でも絶縁するわ…家族だからって何でも許せるわけじゃないもの。
離れている方がお互い幸せな場合もある - たとえ一瞬でも葬儀に出たらワイドショーネタにはなるし参列者に迷惑かかるし、また仲の事などを空気も読まず質問するマスゴミに追いかけ回されるから参列できないでしょう。
しかも明菜ちゃん自身、メンタル面が大変な状態だから。ファンクラブの会報みても、辛そうですし、表舞台に無理して出てこなくても、ファンはずっと想ってますからと祈る日々です。
印税でのんびりして欲しい。日本に戻って欲しいけどニューヨークでのびのび暮らしててね。
などのコメントが寄せられています。
中森明菜さんが、20年以上前から家族との連絡を一切シャットアウトし、絶縁状態となっているのはそれなりの理由があり、まず家族との金銭問題で、明男さんは2013年10月に『女性自身』の取材に対して、明菜さんが家族と絶縁に至った原因について、「それは、明菜が私たち家族に『自分のお金を勝手に使われてしまった』と、固く信じ込んでいるからなんですよ。明菜は、当時の事務所のスタッフから『清瀬(の家族)にいっぱいお金が行っていて、大変なんだよ』と言われたそうです」
と明かしています。
その当時、中森明菜さんは家族が経営のスナック、中華料理店、他にもビルなどの購入資金を負担、さらに一時期は母・千恵子さんが明菜さんの給料前借しを所属事務所に要求するなど、家族が明菜さんの収入をアテにして生活を送るなどしていたとされています。
<↓の画像は、仲が良かった当時の4姉妹と甥っ子・姪っ子の写真>
(前列左から甥っ子の照明さん、姪っ子の愛さん、長女・明恵さん、後列左から明菜さん、次女・明子さん、四女・明穂さん)
こうした状況を受けて、中森明菜さんの周囲のスタッフがアドバイスして家族と距離を置くようになり、最終的には絶縁に至ったとされており、明男さんはこれに関しては否定しているものの、明菜さんが戸籍を抜いて連絡を断つほどの問題があったことは間違いありません。
1994年に出版された『中森明菜心の履歴書 不器用だから、いつもひとりぼっち』では、「愛情をあまり受けずに育ちましたから。だからその分ね、よく孤児院なんかで育った子が、絶対自分は温かな家庭をつくるんだって言ったりする、それと同じでね、人には絶対イヤな思いをさせたくないの。」
と語っています。
また、これまでに様々な人に裏切られたことについて、「でもそれはいいの、物をもっていかれるのはいいの。けど、いっしょに心を持っていかれるは耐えられないの……」「……だったら『私はあなたの財産目当てです』って言って、パッと逃げちゃってくれたほうがいい、心を見せるフリなんかしなくて……」
といったことも語っており、家族との間に溝が生じた原因もお金だけの問題ではない可能性があります。
そして、中森明菜さんは現在あまり体調が良くないようで、2016年と2017年には全国各地でディナーショーを開催したものの、昨年ディナーショーは行っておらず、20年以上前から絶縁状態にある家族と顔を合わせるほど心に余裕は無いとみられます。
中森明穂さんが亡くなったこともあり、親としては少しでも顔を見せて欲しいという思いがあるかもしれませんが、わだかまりが一切解消されていない様子なので今後もこの状態は続くのではないでしょうかね。