高所からの転落による「多発外傷性ショック」によって、12月18日に急死した女優・歌手の神田沙也加さん(享年35)の交際相手で、俳優の前山剛久さん(まえやま・たかひさ 30歳)が、2月24日~3月18日に上演の大竹しのぶさん主演舞台『ピアフ』を降板し、代役を前田一世さん(まえだ・いっせい 47歳)が務めることが正式発表されました。
また、前山剛久さんの所属事務所『ワタナベエンターテインメント』が5日に公式サイトを更新し、舞台からの降板を発表すると共に、昨年末から心身に不調をきたし、今後も治療に専念するために芸能活動を当面休止することを報告しています。
<↓の画像が、ワタナベエンターテインメントのコメント全文の写真>
このように前山剛久さんの舞台降板、芸能活動休止が発表されたタイミングで、週刊誌『週刊文春』が新たに入手した音声データと共に、神田沙也加さんが亡くなる前の前山剛久さんとのやり取りを報じており、そこでは絶対に言ってはならない言葉が飛び交うなど、その内容があまりにもショッキングなことからネット上で波紋を広げており、再び大炎上状態になっています。
『週刊文春』によると、神田沙也加さんと前山剛久さんは昨年8月上演のミュージカル『王家の紋章』で初共演し、この共演がきっかけで沙也加さんの方から前山さんにアプローチ、10月初旬から結婚を視野に入れた真剣交際がスタートし、2人は沙也加さんの自宅マンションで半同棲生活を送っていたとのことです。
<↓の画像は、『王家の紋章』で共演時の前山剛久さんと神田沙也加さんの写真>
しかし、前山剛久さんは神田沙也加さんと交際に発展後も、直前まで同棲交際していた年下のアイドル・A子さんとLINEで連絡を取り合い、それが沙也加さんにバレて口論になることもあったといいます。
神田沙也加さんは2015年に出版した著書『Dollygirl』で、絶対に許せないこととして「浮気」を挙げており、前山剛久さんの浮気を疑った沙也加さんは亡くなる2週間前の12月4日付けで、前山さんに対して誓約書を書かせ、元彼女との関係を完全に絶つことなどを誓わせたそうです。
そんな神田沙也加さんの芸能活動における恩人は、「特殊な芸能一家で育った沙也加には、不安定な面がありました。精神安定剤を処方してもらい、持ち歩いていた。常に飲むというより、調子が悪くなったら自分の判断で飲んでいたようです。その分、舞台で自分を支えてくれる共演者に惚れてしまいがち。村田も秋山もそうでしたし、前山もそうです。あの子の交遊関係は“狭く浅く”で、深く付き合っている友達もほとんどいません。だから、恋人に深く依存してしまうのです」
と語っています。
前山剛久さんも感情の浮き沈みが激しい神田沙也加さんとの関係に色々と悩みながらも、「頑張って薬を減らしていこう」と提案して計画表を作るなど、状況を改善するために努力をしていたとのことです。
しかし、前山剛久さんは誓約書を書いてから約1週間後に、再びLINEでアイドルの元彼女に連絡し、「神田さんと整理つけるのに、バタバタしてた」「なんとか別れたよ!笑」「めっちゃ大変だった!笑 今度話聞いてもらっても良い?」「いつ時間ある?」といったメッセージを送り、それを知った沙也加さんはブチギレ激怒し、前山さんの事務所社長と話し合いの場を持とうとしたそうです。
ただ、前山剛久さんがマネージャーからの聴取に「二人で解決するので大丈夫です」と答え、神田沙也加さんも話し合いの末に心を落ち着かせ、やり過ぎてしまったと反省していたといいます。
ですが、2人の間では結婚に対して温度差があったといい、結婚を望んでいた神田沙也加さんは新居での同棲を提案し、前山剛久さんも当初は乗り気だったというものの、物件の審査が通った後の12月中旬に前山さんが突然「同棲を白紙にしたい」と翻意し、これに沙也加さんは大きなショックを受けていたとのことです。
さらに、前山剛久さんが神田沙也加さんに内緒で、1人で住むための別のマンションを契約していたことが判明したそうです。
<↓の画像は、昨年11月に前山剛久さんがツイッターに投稿した2ショット写真>
神田沙也加さんの知人はその当時の様子について、「沙也加にしてみれば、誓約書の誓いを破られ、同棲話も白紙に戻された。それでも、前山さんとの将来に僅かな光を見出していました。混乱しながら、どうしたらこの状況を変えられるのか……と。親友にA子とのLINEを転送して相談したり、喧嘩のたびに浴びる前山さんの罵声を録音するようにもなったのです」
と明かしています。
そして、『週刊文春』は録音時期や入手先などの詳細は明らかにしていないものの、2人の会話を録音した音声データの内容を公開しており、そこでは前山剛久さんが契約したマンションの解約を巡ってケンカとなり、前山さんが絶対に言ってはいけない言葉を連発しています。
前山剛久さんは神田沙也加さんに対して、1ヶ月後には契約したマンションを引き払うと伝えるものの、沙也加さんは「でも自分が決めてきたところ、1ヶ月で引き払わないでしょ」などと言って、前山さんの発言を信用できないと訴えたところ、前山さんはブチギレ、「引き払うって!なんで俺のこと信じないの、そうやって!おい!」と怒鳴ったそうです。
「怒鳴らないで」と訴える神田沙也加さんに対して、前山剛久さんは「死ねよ、もう。めんどくせぇな」と言い放ち、沙也加さんが「『死ね』って言わないで」と懇願するも、前山さんは合計4回にわたって「死ねよ」と言っていたとしています。
恋人から「死ね」と何度も言われた神田沙也加さんが涙声で「死んだらどうなの?」と問いかけると、前山剛久さんは「ん?別に」と答え、その後も「(何とも思わないの?)うん」「(せいせいする?)うん。お前しつこいんだもん」「いいじゃん、もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」「(私が死んだら?)うん」などと、沙也加さんを精神的に追い詰めるような発言を繰り返していたとのことです。
この会話の最後に神田沙也加さんは涙声で、「ねえ、そんな酷いこと言わないでお願いだから」「『大好きだ』って、『こんなに合う人いない』って言ったから付いてきたんだよ……」
と訴えていたとしています。
神田沙也加さんから前山剛久さんとの交際について色々と相談を受けていたという親友は、「精神的に不安定な沙也加は、口論を重ねるうち、どんどん追い込まれていきました。取り乱す沙也加に前山さんもキツい言葉を浴びせていく。若い前山さんも、どうしていいか分からなくなっていたんだと思います。それでもこの音声に残っていたのは、心の弱い彼女に決してかけてはいけない酷い言葉だった。まして、沙也加は彼を誰より信じていたのだから…」
と語っています。
このように神田沙也加さんは生前、前山剛久さんとの交際を巡ってトラブルになっていたほか、以前から喉の調子が悪かったことで検査を受けた結果、「手術をしなければ、非常にまずい」と医師に告げられ、さらに追い詰められていったようです。
さらに、神田沙也加さんと前山剛久さんは共演ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の札幌公演で、12月16日に北海道に到着したそうなのですが、沙也加さんは普段服用している薬を持ってくるのを忘れていたといいます。
<↓の画像は、『マイ・フェア・レディ』で共演の前山剛久さんと神田沙也加さんの写真>
そして、17日まで神田沙也加さんと前山剛久さんは一緒に外出したり、食事するなどしていたものの、17日夜に予定していた沙也加さんのマネージャーと3人での食事を沙也加さんが「やっぱいいや。私、気分が悪いから、二人で行って来て」と断り、18日に死亡が確認されたとのことです。
公表はされていませんが、『週刊文春』は神田沙也加さんが宿泊していた部屋には、事務所宛と前山剛久さん宛の遺書が残されていたとし、前山さん宛の遺書には、「女性にあんまり強い言葉は使っちゃダメだよ。一緒に勝どきに住みたかった。二人で仲良く、子供を産んで育てたかったです。ただ心から愛してるよ」
と綴られていたとのことです。
記事の最後では神田沙也加さんの知人が、「なぜ沙也加が、35歳の若さで世を去らなければいけなかったのか。懸命に生きて、傷つきやすい心を持った彼女に起きた真実を知ってほしい。そして、彼女が生きた証を忘れないでいて欲しい」
との思いを明かしています。
『週刊文春』はこのように、神田沙也加さんが亡くなる直前までの前山剛久さんとのやり取りを伝えているのですが、この報道を受けてネット上では、
- 悲しくて涙が出てきた。なにが傷心だよ
- 事実だとしたら悲しすぎる。精神的に不安定な方にかける言葉ではない
- 言って良いことといけないことの判断もつかない男なのか。酷い。
- こんなこと言われて、舞台では恋人役って無理。しかも同じキャスト固定。
- いくらラブラブでもケンカはするし、時にはキツイ言葉が出てしまうこともある。
でも、これはもう良識の範囲を超えた、人としていってはいけない言葉でしょ - こんなの泣いてしまう。最後の神田沙也加さんからの手紙が優しすぎる。擁護できる箇所が1ミリもないくらい、最悪の事件だ
- 神田さんの情報がなぜこんなに出てくるのかわかった気がする
- いくら相手が憎くても死ねとか、皆が喜ぶなどと言ったことがない。好きな人から言われたら辛かろう。でも、それを跳ね返して欲しかった。
などの声が上がっています。
前山剛久さん本人も、昨年12月22日に事務所を通じて出した追悼コメントの中では、神田沙也加さんとの真剣交際を認めた上で、「将来を見据えたお話もさせていただいておりました」と結婚も視野に入れていたことを明かしていました。
<↓の画像は、前山剛久さんが昨年12月22日に出したコメント全文の写真>
しかし、交際開始からたった2ヶ月の間に、前山剛久さんと元彼女の関係や同棲を巡ってトラブルに発展していたそうで、こうしたいざこざはカップルの間ではよくあることですし、前山剛久さん側の話も聞かないと何とも言えません。
ただ、神田沙也加さんの精神状態が不安定なことを把握しながら何度も裏切ったり、いくら感情的になったとしても、「死ね」などの暴力的な言葉を浴びせることは絶対にしてはいけなかったと思います。
こうしたやり取りを行った後に前山剛久さんは、神田沙也加さんにしっかりと謝罪したのかどうかは不明ながら、札幌に到着後の12月16日には沙也加さんのマネージャーと3人で食事し、「沙也加のことを見つめ直す」「付き合い立ての頃を思い出そう」と話していたそうです。
それから2日も経たないうちに神田沙也加さんは亡くなり、なぜこのような事になってしまったのか真相は定かではありませんが、前山剛久さんとの交際を巡る問題だけでなく、喉の手術が必要だと告げられていたこと、そして普段服用していたという薬を忘れてしまったこと等が要因として推測され、前山さんに全ての原因があるとは思えないものの、もっと心に寄り添ってあげてほしかったと思います。
『週刊文春』の取材によれば、前山剛久さんは神田沙也加さんの急死に大きなショックを受け、「目を離すと彼自身どんな行動を取るか分からない」というほどの状態にあるとのことで、決して誤った判断だけはしないように、しばらくゆっくりと休んで心を落ち着かせていってほしいです。