上方落語会の重鎮で、2003年より公益社団法人『上方落語協会』の6代目会長を務めている落語家・桂文枝さん(前名=桂三枝 本名=河村静也 72歳)が、演歌歌手として活動していた紫艶さん(しえん 旧芸名・本名=中江ひろ子 38歳)と20年前から不倫関係にあると19日発売の週刊誌『フライデー』が報じ、同誌の取材を受けた紫艶さんはそれを認めた一方、文枝さんは不倫を否定。
紫艶さんが自身のフェイスブックに以前アップし、『フライデー』にも掲載されたツーショット写真に関しても、複数人で行った旅行で撮影したものだといい、不倫を完全否定していたのですが、紫艶さんは再び『フライデー』の取材に応じ、文枝さんとの不倫交際の真相について改めて告白しています。
<↓の画像が、紫艶さんの写真>
紫艶さんが文枝さんとのツーショット写真をフェイスブックで知人だけに公開できる設定にしていたものの、流出した原因について「少し前にパソコンの調子が悪くて修理に出したんですが、その影響なのか…」などと語っていたことや、20年も不倫交際を続けてこのタイミングでこのように明らかにされたことから、「とっくに別れていたのに、お金に困って昔の話を売ったのでは?」、「師匠に捨てられそうになって、精神的に追い詰められて暴露したのでは?売名?」などといった声が世間から多く上がっており、芸能界でも文枝さんを擁護する声や紫艶さんの売名を疑う声が上がっています。
そうした中で紫艶さんは再び『フライデー』の取材を受け、「私の実家は兵庫県にあるのですが、小さな町なので、今回の件を受け、変な噂がたちまち広まってしまって……。母は『売名行為だ』とか、いろいろ言われ過ぎて体調を崩し、倒れてしまいました。師匠が家族を大事にされているように、私にも家族があります」と語り、「師匠は一度、私の実家にいらっしゃったことがあるから、おわかりになると思います」と続けた後に、「誤解を解くため、真実をお話しいたします。そして私は芸能界を引退します」と宣言。
ちなみに、紫艶さんは「中江ひろ子」名義で1997年にデビューし、2000年に紫艶として再デビューしてからは、身長165cm、バスト90cm(Fカップ)、ウエスト60cm、ヒップ88cmというスタイルの良さを活かして写真集を複数出版するなどしているのですが、2012年12月にリリースしたシングルを最後に歌手活動は休業しており、現在は都内でホステスをやっているといいます。
文枝さんとの交際を告白する決意をした紫艶さんは、最後に文枝さんと会ったのは2ヶ月前だといい、文枝さんが東京で仕事をする際に定宿にしている『ホテルニューオータニ』の部屋に夕食後の21時過ぎに呼ばれたとのこと。
その部屋はいつものツーベットルームの広い部屋だったといい、翌朝に往復のタクシー代をもらって帰ったそうで、文枝さんが21日に行った会見で「最後に会ったのは2年前の落語会のとき」などと話していたものの、紫艶さんは「事実と違います。去年も新宿の『ルミネtheよしもと』など、いろんな劇場に会いに行っています」と語っています。
さらに、文枝さんが「彼女とは2年前に東京の落語会に来ていただいたときにお会いしたのが最後。それ以前も10年から12年ほど会ってない」などと語っていたことについては、「師匠はただでさえ忙しい方。一方で私も舞台に出演したり、母が体調を崩して関西の実家に帰ったりしていたので、会えないときもありました。ただ、せいぜい2~3ヵ月空くくらいのもの。少なくとも2ヵ月に1回、お会いしていました」といい、少なくとも2ヶ月前までは男女の関係にあったのか聞くと「……はい」と答えたとのことです。
また、第一報を報じた『フライデー』が発売される2日前の17日20時過ぎに紫艶さんは文枝さんに電話をかけたものの、留守電だったそうなのですが、18日の朝8時に折り返しの電話があり、「たいへんなことになってるんや」と慌てていたといい、これが最後の電話になったと明かしています。
さらに紫艶さんは今回、記者に文枝さんとの不倫関係にあったことを証明するものとしてLINE上でのやり取りなどを見せており、同誌にはそれが証拠として掲載されているのですが、16日の午前中まで2人はラブラブなメッセージを送り合っていることから、紫艶さんが言っていることは嘘ではないとみられます。
ちなみに、紫艶さんは文枝さんのことを「ぱぱりん」、文枝さんは紫艶さんの本名が「ひろ子」ということから「ひろりん」と呼んでいたようです。
<↓の画像が、LINEの写真>
<↓の画像は、文枝さんが紫艶さんに書いた愛人誓約書の写真>
「中江様(紫艶さんの本名)以外 他の女性とはお付き合い致しません 遊びもなし 電話もなし 川村静也(文枝さんの本名)」と書かれています。
<↓の画像は、文枝さんが紫艶さんに書いた激励文書の写真>
「どんな時にも力になります この力は信じてください ため息は命をけずるカンナといいます ため息の度に会える日が少なくなるのですから 健康に充分気をつけていつまでも仲良くしましょう Shizurin.K」と書かれています。
紫艶さんによると、文枝さんは1999年にも『女性セブン』によって「東京妻の逆襲」という記事で不倫を報じられ、プライベートで撮影した写真が多数掲載されて以降、警戒しているのかどうか不明であるものの写真を撮らなくなったようで、紫艶さんは「あくまで私はそう感じた、というだけですけど……。ただ、少ないですが、最近撮った写真もあります」と語っています。
今回『フライデー』には紫艶さんとの不倫が始めった初期で、紫艶さんが19~20歳ごろに撮影した写真、1~2年前にカラオケデートで撮影した写真、大阪の北区にある文枝さんの個人事務所にて撮影された写真(口説き文句は「オレにはお前が最後の女や」とのこと)などが掲載されており、文枝さんの弟子、紫艶さんの知人の4人でドライブする道中で、後部座席に座る2人がキスをしている姿などがおさめられています。
<↓の画像が、交際がスタートした頃に撮影された写真>
<↓の画像は、文枝さんの個人事務所にて撮影された写真>
<↓の画像は、1~2年前のカラオケデートで撮影された写真>
そして、紫艶さんは今回取材を受けて真相を告白したことについて、「師匠には立場があります。いろいろな方を守るため、不倫を否定したことは理解できます。でも、私にも守るべき家族がある。だから今回、真実を話させていただきました。」と説明し、「そのケジメとして、芸能界を引退します。」と宣言。
また「これで許されるとは思っていませんが、私にできる精いっぱいの責任の取り方です。釈明会見で師匠が『歌を頑張って』と言ってくださったときは心が痛みましたけど……後悔はありません。師匠と出会えたことが、私の人生の宝物だから」と語っていたとのことです。
これに対しての反応をネット上で見てみると、
- 私にも守るべき家族があるからって自分がこういうことをしたからなのに考え方が変。これだけ言いまくって、師匠と出会ったことは宝物と言っているのも変。
- 売名かどうかは置いておいたとして、ではなぜそもそもこの話を広め始めたのかを取材で聞いて欲しい。2人だけの秘密にしておけば良かったのではないか?
- 私にも守る家族がいるといってるが、師匠にもいるんだし、不倫が事実だとしてもそれは墓場まで持っていけば誰にも分からなかったこと、それが一番家族のためだと想う。突然自分から写真出したり、インタビュー受けたり、ただの嫌がらせ以外の何物でもないな。
- これは多分売名というより復讐だと思う。うまく別れられなかったのかもしれないな。
- たしかに不倫はよくないだろうが、今さら暴露したのは自分からなのに母が辛い思いをしてるとか家族を守りたいとか言われてもあんまり同情できない。引退しても特に痛くもないだろ売れてないんだしw
- 引退覚悟と言っても開店休業状態だったから何にも覚悟してないじゃん。手切れ金で揉めたのか?
- 文枝はこの女性への責任を果たさないと。18歳から20年は、もはやもう一人の妻で家族
などのコメントが寄せられていました。
紫艶さんは『フライデー』の第一報が報じられた後にテレビやスポーツ紙の取材を受け、文枝さんと不倫関係にあったことを認めており、一方的に色々なことを語っていたことから売名行為なのではないかという疑惑が浮上していましたが、今回芸能界引退を宣言したことからその可能性は無くなり、やはり何かしらのトラブルがあったとみて間違い無さそうですね。
今回の暴露に対しても紫艶さんに批判の声が上がっていますが、正直なところどっちもどっちで、ここまでの騒動になってしまった以上、文枝さんは潔く紫艶さんとの不倫を認めて家族にしっかりと謝罪するべきなのではないでしょうか。
ちなみに、今回『フライデー』が報じている記事によると、文枝さんが1971年より司会を務めている長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日系)には、視聴者から多くのクレームが寄せられているそうで、番組を制作している朝日放送(ABCテレビ)広報部は「厳しいご意見もいただいております」と答えたとのこと。
同番組は昨年7月に、「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定されており、文枝さんがそう簡単に降板することはないとみられるのですが、今は不倫に対して世間からの風当たりは強く、今回の騒動によって視聴者離れが起きて数字が下がる可能性は高いことから、もしかすると番組から降板という事になるかもしれないですね。