落語家・タレントの6代目・桂文枝さん(かつら・ぶんし 前名=桂三枝 本名=河村静也 75歳)の元不倫相手で、20年にわたって愛人関係にあった元演歌歌手・セクシー女優の紫艶さん(しえん 本名=中江ひろ子)が、急死していたことが明らかになりました。41歳でした。
<↓の画像が、桂文枝さんの元不倫相手・紫艶さんの写真>
これは2人の不倫スキャンダルをスクープした週刊誌『フライデー』が報じているもので、紫艶さんは今年3月7日に東京都内の自宅マンションで孤独死したそうです。
紫艶さんが2016年4月から所属していた芸能事務所『アンドエム』の社長によると、3月11日の昼間に紫艶さんの母親から「毎日、電話をくれる娘が3月7日を最後に連絡が取れない」と連絡があったといい、母親から連絡を受けていた大家さんが部屋を確認したところ、孤独死している紫艶さんを発見したとのことです。
紫艶さんの遺体を司法解剖した結果、死因は「病死」という診断が下され、紫艶さんは多くの種類の薬を服用していたことから、それが死に繋がったのではないかと伝えられたそうです。
葬儀は3月15日に肉親や事務所スタッフだけでひっそりと営まれたといいます。
紫艶さんは2016年2月に『フライデー』によって、20年にわたって桂文枝さんと不倫交際していたことが報じられ、当時大きな話題になりましたが、紫艶さんは文枝さんに捨てられた直後、かなり精神が不安定の状態で、リストカットを繰り返していたそうです。
<↓の画像が、桂文枝さんと紫艶さんが交際当時の写真>
レコード会社関係者によると、紫艶さんは18歳の時から桂文枝さんと不倫交際しており、「初めて好きになった人が文枝さんだった」と涙ながらに話していたこともあったものの、文枝さんに捨てられて新たな芸能事務所に入ったことがきっかけで、「彼のことを忘れて頑張る」と話していたといい、実際にその後は一度も自殺未遂のようなことは無かったと聞いていると明かしています。
事務所社長は紫艶さんについて、「精神的に弱かったので、薬を服用していることは知っていました。それは初めて私と会ったときから飲んでいましたね。彼女はお酒を一滴も飲めないんですが、薬の影響か、酷い時は呂律(ろれつ)が回らないこともありました。何か所も病院に通っていたようで、それは警察から聞いて初めて知りました。部屋には薬がいっぱいあったようで、薬の飲み合わせが悪くて、命を落としてしまったのかもしれませんね」
と語っています。
また、「葬儀で紫艶さんはメイクをしていて、なんか映画やドラマのワンシーンをみている感じでした。とてもキレイでしたし、“トントン”って叩いたら、いまにも起きてきそうで…」
と明かしています。
そして、紫艶さんの訃報を受けて『フライデー』の取材班は桂文枝さんに直撃取材を敢行しており、3月7日に紫艶さんが亡くなったことを知っていたか聞くと、「え、誰が?」と言って記者の名刺を受け取り、改めて紫艶さんが亡くなったことを伝えると「ホンマか…」と絶句しながら驚いた表情を見せたものの、その後は何も話さずに車に乗って走り去ったとのことです。
<↓の画像が、『フライデー』の直撃取材を受けた桂文枝さんの写真>
事務所社長によれば、紫艶さんは定期的に歌のレッスンを受け、カラオケに行ってCDを作り持ってきたこともあったといい、今後また本格的に歌手活動を再開しようと話していた中で亡くなられてしまったとのことなのですが、紫艶さんの突然の訃報に対してネット上では、
- やはり不倫は誰も幸せにしない
- 何と可哀想なんだろう。もちろん不倫はダメだと思うけど…。安らかに眠ってほしいと思います。
- これで『新婚さんいらっしゃい』とかよく言えたものだと思う。良い機会だから司会者変えた方がいいのでは?
- 少女のような娘さんを!欲望のままに手込めにして!。最後まで面倒をみるならまだしも、保身の為に見棄てた責任は重い。
男として最低!許せない!芸の肥やしだと言うのなら、綺麗に別れてあげるのも芸のうちだろう。 - この女性との一件で桂文枝が大嫌いになった。久しぶりに面白い大河だった真田丸に、この男が千利休役で出演した時は、降板して代役を立てて欲しいと思った位だった。
不倫はもちろん良くないが、まだ年若い娘さんの人生を台無しにしたのは間違いなくこの男のせい。もう表舞台に立たないでもらいたい。
紫艶さんのご冥福をお祈りします。 - 幸せだったんだろうか。間違ってる愛だったとしても20年…長い。
1人の人に捧げてきて、最後は簡単に捨てられて。最期は孤独死だなんて…。
自業自得? 不倫を肯定はしないけど、ほんとにそうなのか…?
無責任な男。お前にも返っくるぞ。
などのコメントが寄せられています。
紫艶さんはスポーツ紙やテレビのワイドショーの取材にも応じ、桂文枝さんとの20年にわたる不倫関係を認めた一方、文枝さんは「事実と違う。(不倫は)20年と書いてあったのにはビックリした」などと否定し続け、往生際の悪さを見せていました。
桂文枝さんと紫艶さんが非常に親密な関係にあったことは明らかで、言い逃れできないような複数の証拠写真などが出ています。
<↓の画像は、桂文枝さんと紫艶さんの写真>
それにも関わらず、桂文枝さんは「(約20年前に)吉本興業の林社長(後に会長)から『吉本に演歌歌手が入ったから応援してやってくれ』と言われて、娘のように応援していた」「10年か12年は会っていないと思う」などと語り、男女の関係では無いとキッパリと否定しています。
一方の紫艶さんは、「師匠は後輩から厳しい人と恐れられていますが、プライベートでは優しいし尊敬できる人。私にとって師匠であり、父親(のような存在)であり、恋人です」と話した上で、20年にわたる不倫交際については「100対0で私が悪い。師匠に申し訳ない」と謝罪し、不倫交際を否定した文枝さんに対しては「愛人の私よりも名誉を選んだ。真実を話してほしい」と訴えていました。
また、紫艶さんは騒動の責任を取って芸能界から引退すると宣言し、その後セクシー女優としてデビューを果たしましたが、デビューから1年後の2017年11月に発売の作品を最後に活動はストップしていました。
紫艶さんのブログを見ると、最後の投稿となった今年2月19日まで頻繁に更新しており、特に変わった様子は見られず、その日の食事内容や映画を観に行ったこと、母親にカラオケレッスンしたことなどを報告しており、何か病気を患っていて体調が悪い、心が病んでいるといった印象は受けない内容となっています。
そんな紫艶さんが41歳という若さで急死し、『フライデー』の記者から訃報を聞いた桂文枝さんは絶句するのみだったとのことで、ネット上ではさらに批判の声が上がっているのですが、文枝さんは引き続き何事も無かったかのように活動を続けていくとみられ、イメージは今後さらに悪化していきそうですね。