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大黒摩季が旦那と離婚した原因は浮気の可能性? 子宮全摘手術し不妊治療、代理母出産でも子供授からず別れ決断し…

大黒摩季が離婚発表し不倫疑惑も…元夫は即再婚し子供誕生。別れ決意の理由に同情の声、本人は前向きに今後語る

シンガーソングライター・大黒摩季さん(本名=大黒摩紀 49歳)が、公式サイトやスポーツ紙の取材で今年4月に離婚していたことや、元夫が再婚し子供が誕生したことを発表しました。

大黒摩季さんはスポーツ紙の取材に対して、離婚した理由について、「子供を産めなかった罪の意識を抱えて生きるより、彼の幸せを応援する人生を選んだ」としています。

大黒摩季さんは2002年夏に、1歳年下で教育関係の仕事をする会社員の一般男性と知人の紹介で知り合い、1年後の2003年11月に結婚しましたが、1996年末に発覚した重度の子宮疾患が深刻化したことや、病気の治療と並行して様々な不妊治療にも挑戦しましたが流産を繰り返したため、病気だけでなく不妊治療にも専念するために2010年11月から活動休止しました。

しかし、大黒摩季さんは「子宮腺筋症」だけでなく、「左卵巣嚢腫(のうしゅ)」「子宮内膜症」「子宮筋腫」も併発しており、すでに他臓器を圧迫している状態で、活動休止発表から5年後の2015年11月、受精卵を凍結した上で子宮の全摘出手術を受け、これによって病気が完治したため2016年夏から本格的に歌手活動を再開させました。

その後は、アメリカの代理母制度も試みたそうですが妊娠には至らず、2017年9月ごろに最後の卵子が無くなったことで代理母出産も諦めたといい、大黒摩季さんはスポーツ紙の取材に当時の心境について、「何回泣いたか分からない。生まれて初めて絶望した。それまでは仕事なんかでも少々の挫折は盛り返せたし、頑張れば結果に結びついたけど、こればっかりは私自身の体の問題でもう限界だった」と振り返っています。

また、母親が脳出血によって体が不自由になり、介護もしながらの生活を送る中で、大黒摩季さんから夫に離婚を切り出したといい、「彼も明るく(子供を)諦めたつもりになってくれているんだけど、それが私には刺さって。お友達の家族と遊んでいる時にその子供を抱っこしている表情を見て『この人こういう顔するんだなあ』って…。愛おしいなと思ったけど、ことあるごとにごめんねと思って生きていくのかと、私は一生、この罪の意識と生きていくのかと。そうなるといつか小憎らしいことを言うようになっちゃって、そんな醜態さらして生きていきたくはないと思うようになったの」と、自ら離婚を切り出した理由を説明しています。

<↓の画像は、スポーツ紙の取材に離婚理由を語る大黒摩季さんの写真>

夫への感謝も非常に大きかったそうで、「彼はいい人だし、大好きだから幸せになってほしいって心底思うようになって。自分の中でいろんなものが削ぎ落とされたら、痛みから解放されて、変な闇が来なくなったの。本来の明るくポジティブな私が取り戻せてきて“私が好きな私”がよみがえってきた。2人でいながら罪の意識を抱えて生きていくより、彼の幸せを応援する方が楽だと思ったの。」とも語り、「一昨年の暮れに(離婚を)心に決めました。彼も説得するうちに受け止めてくれて、『新しい恋をしようね』って離婚に合意したのが昨年の初めだった」としています。

そして、離婚届に揃って署名し別々の人生を歩み始めたものの、大黒摩季さんが預かっていた離婚届を役所へ提出したのは今年2月で、書類に不備があったことから離婚届が受理されず、元夫と正式に離婚が成立したのは今年4月22日のことだったといいます。

提出までに1年もの間をあけた理由については、「私がツアーでうっかり出し忘れた間に、彼に新しい人ができて妊娠の話を聞いて。これは届け出したら騒がれるから、妊娠不安定になって流産したら大変だし、自分は流産経験者だけにこれは大事にせねばと思い、生まれるまで届けを出すのをやめ、彼らの生活が落ち着いたのを見計らって出したの。彼らの幸せを守りたかった。私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」と説明しています。

元夫が新しいパートナーと再婚したのは、昨年末に子供が誕生後のことで、大黒摩季さんは「私にとっても待望の子」だと話しています。

そんな大黒摩季さんは離婚届を提出した翌日の4月23日に、シルバーアクセサリーブランド『クロムハーツ』の指輪を購入したそうで、「私、ロックと再婚したから。これからは恋もブイブイしますよ。苦しかった時の経験を生かした“闇曲”が湧き出ているので、60歳まで肉食系ヤミ子として爆走します!」と気持ちを切り替え、今後も精力的に活動していくことを宣言しています。

<↓の画像が、指輪を披露した大黒摩季さんの写真>

さらに、大黒摩季さんは新たな恋人探しにも意欲を見せており、「20歳から70歳まで私に合う男性を紹介してほしい。これからブイブイ恋をして、何ならジェニファー・ロペスくらい頑張ろうかな」と笑いながら語っていたそうです。

このように元夫との離婚理由、現在の心境などを語った大黒摩季さんに対してネット上では、

などのコメントが寄せられています。

大黒摩季さんは近くで支えてくれている夫の子供を生みたいとの思いで、2003年から長年にわたって不妊治療を繰り返し、2015年1月に綴ったファンクラブ会員向けのブログでは、アメリカで最高峰の様々な治療を受けたものの、「強いホルモン剤に体が負け自分自身の限界を知らされるばかりとなり、幾度となく経験したことの無い様な絶望のふちに立たされました」と綴っていました。

2016年11月放送の密着ドキュメント番組『情熱大陸』(TBS系)では、摘出手術の前夜に、「卵自体はグレードも高く発育も良かったのに、子宮が病気まみれだったため、何度も死んでいった。自分の子宮で子どもを殺したという気持ちだった。“諦める”というよりは、自分の“TRYを終える”んです」と清々しい表情で語っていたほか、「自分にとって恩人でもある夫に、何かプレゼントをしたかった。この人が本当は一番欲しかったものを、最後の1%にかけて。私を選ぶために捨ててくれたものを拾いたかった」と夫への思いも明かしていました。

そして、子宮全摘手術も受けた後は凍結した卵子で代理母出産も試みましたが、それでも子供を授かることができず、大黒摩季さんは夫が子供と接する姿などを見て、最終的には最愛の夫の幸せを優先して離婚を決意したようなのですが、別れた夫はその後新しいパートナーとの間にすぐ子供を授かり再婚したそうで、この話を聞いているだけで非常に切ない気持ちになります。

しかし、大黒摩季さんは公式サイトへ投稿した離婚報告コメントの中で、元夫が新しいパートナーと出会い、子供が授かったことを知った時のことについて、「本来ならジェラシーや憎しみも湧きそうなものを、初めての感覚ですが、彼の幸せ報告により私の罪意識が一掃された気がしました。親友の幸せを心から喜べる気持ちと同じ感覚であったことと共に、私らしさと、本来の柔らかい心が舞い戻ってきたこと、それが何より嬉しかったのです。」としています。

さらに、離婚成立から8ヶ月後に公表した理由についても、「根本的に周りを心配させたり同情されるのが好きではないのと、彼と彼の家族を世間の干渉から守りたかったからです。」と説明しています。

また、「『別れましょう私から消えましょうあなたから』を自ら地で生き(笑)、そしてまた『夏が来る』を歌う声に力がこもる毎日です。」とした上で、「BLUEな思いは2019年に置いて、2020年はなんの曇りもない、青空みたいにスッキリHeartで思いきり爆走します」と前向きに綴っています。

そんな大黒摩季さんは大晦日に50歳の誕生日を迎え、来年のスローガンとして『50歳!50トライ!(50th/50try)』を掲げ、大晦日にはファンクラブ会員限定のバースデーライブを開催するほか、これまでリリースした全楽曲のサブスク配信、公式YouTubeチャンネル『だまされる大黒摩季』(全50話)の開設、来年にスポーツベストアルバムを発売、全50本の全国ツアー開催、オリジナル新曲の50曲制作や初のグラビア挑戦で50変化の写真集発売を予告しています。

プライベートでは夫と離婚という非常に残念なことがありましたが、ネガティブな気持ちを払拭するためにも、まずは仕事に全力を注いでいく決意を固めている様子で、さらに新しい恋人探しにも意欲を見せており、今後も色々と辛いことなどあるかと思いますが、後ろを振り向かずに前進を続け、仕事もプライベートも充実させていってほしいです。

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