タレントの風見しんごさん(本名=大下義博 54歳)と妻・大下尚子さん(旧芸名=荒井晶子 50歳)が、14日放送のバラエティ番組『結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち』(TBS系 月曜19時)に出演し、2007年に長女・大下えみるさん(享年10)が交通事故により死去した翌年に、長男を妊娠したものの死産したことを告白しました。
2007年1月17日に、当時小学校5年生だった長女・えみるさんは学校へ向かう途中、自宅から約130メートル離れた交差点の横断歩道を渡っている時に、本来は通行禁止のスクールゾーンから飛び出してきた3トントラックの下敷きになり、頭蓋底骨折によって約1時間後に亡くなりました。
<↓の画像が、10歳で亡くなった長女・えみるさんの写真>
<↓の画像は、生前撮影した家族4人の写真>
この事故から1年後に尚子さんの妊娠が発覚し、「(妊娠が)分かったのが、えみるの一回忌の時で、きっとえみるが連れてきてくれたんだなって、すごく嬉しかった」と喜んだものの、妊娠5ヶ月で胎児の染色体異常が見つかり、ダウン症を患っていることが分かったそうです。
妻・尚子さんは当時を振り返り、「前を向くきっかけを作ってくれた。おなかの中の子に『こころ』って名前を付けたんですけど。ダウン症だったらどういうケアをしてあげたらいいんだろうとか…。元々児童福祉学を大学で勉強をしていたので、産まないっていう選択は全くなかった。むしろ楽しみでした」と出産することを決意したものの、2008年6月、妊娠8ヶ月の時に胎児の動きに異変があり、診察を受けたところ「赤ちゃんのお腹に腹水がたまっている」と言われ、その後心臓が止まっていることも明らかになったといいます。
<↓の画像が、風見しんごさんの妻・尚子さんの写真>
風見しんごさんは「こころの心臓が止まってた。去年えみる亡くなったばかりですよ、また今年こころですか? 何でこんなに立て続けて、何でこんなにウチばっかり、いろんな試練が続くんですか? いくつ…あといくつあるんですか? ここまで何か悪い事しましたか?」と、悔しい思いを明かしました。
尚子さんは死産を診断された胎児を帝王切開ではなく、自然分娩で出産することを決意したといい、その理由については「母親なので、こころに関しては、すごく家族全員に前を向くきっかけを作ってくれたのに、何もしてあげられない。母親として、えみるも通常分娩、(次女の)ふみねも通常分娩だったので、こころも通常分娩で産みたかった」と語っていました。
また、尚子さんは「私の自慢は子どもたち。いい子ばっかり。こんな色んなことを教えてくれる子供はいない」と話し、次女・ふみねさん(14)がアメリカのハイスクール進学を機にアメリカへ一緒に渡り、一方の風見しんごさんは単身日本に残っており、笑顔で「今、逆単身赴任。人生激変は僕ですわ、本当に」と話していました。
番組には次女・ふみねさんも登場し、現在は舞台女優を目指して練習を積んでいることも紹介していました。
<↓の画像が、風見しんごさん・尚子さん夫妻と次女・ふみねさんの写真>
そして、今回の番組での告白を受けてネット上では、
- 風見さん夫婦がここまで立ち直れたのもふみねちゃんがいたからだね。ふみねちゃんにはえみるちゃん、こころくんの分まで幸せになって欲しい。
- 当時も本当に可哀想でそれ以来、風見さんがテレビに出演されてるとなんとも切ない気持ちになっていましたが、まさか息子さんも…数々のことを乗り越えてきたご夫婦、もう一人の娘さんにこれから幸せなことしか起こりませんように
- 風見さん夫婦もかわいそうだったけど、一番無念だったのはえみるちゃんだろうなぁ・・
- かわいそうに。お姉さんをなくしたふみねちゃんにとって、あらたな兄弟ができると家族で喜んだだろうに。立て続けに辛いことがあると、なんで自分ばかり…という気持ちになるのはわかる。ふみねちゃんは、3人分幸せにならないと。
- それでも人は、生きて行くし、生きて行かないといけないんですよね。弟を事故で亡くし数年経ちますが、母と、そう言う話しをよくします。命は、自分だけの物じゃないですよね。家族は、一生苦しみを背負いますから。忘れられる事では、無いけど、一つずつ素敵な笑顔が増えるといいですね。
などのコメントが寄せられています。
風見しんごさんは昨年4月に著書『さくらのとんねる』で長男・こころくんの死産を初告白し、その後放送された『ノンストップ!』(フジテレビ系)、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)、週刊誌『女性セブン』などで、長女・えみるさん、こころくんについて語っています。
えみるさんの死については、「『時間が経てば悲しみは薄れる』といわれるけど、幼いわが子が先に逝くとなると、時間では解決しない。むしろ時間が経てば経つほど、えみるにはもう会えないという現実を受け入れなくてはいけないことがわかってきて、心が折れてくる。ふっきることなんて、絶対にできないんですよね」「思い出さない日はないんですよ」と、苦しい胸の内を明かしていました。
また、長男・こころくんの死産については、「それまでは四六時中えみるのことが頭から離れなかったのですが、こころのことを考えていたとき、初めて、過去を見るのではなく前を向こうと思えたんですね。そのときから、『人生どうだっていいや』が『人生どうにかしなきゃ』に変わりました。」「長男は僕らをすごく強くさせてくれました。人間として…」「普通のごくありふれたことでも『いいなぁ』『幸せだなぁ』と感じる回数は増えました」と、前向きな気持ちに変わったと語っていました。
風見しんごさんと尚子さんは、えみるさんがトラックと衝突してから間もなく現場に駆けつけ、トラックの下敷きになっているえみるさんを集まった人たちと協力して助け出したのですが、ほぼ即死状態で帰らぬ人となりました。
なお、えみるさんと衝突したトラックを運転の当時会社員の男性(当時22歳)は、業務上過失致死罪に問われ、一審で禁固2年(求刑禁固3年)の実刑判決が下され、これを不服として控訴したものの、その後の2審でも1審の判決が支持され、裁判長は「運転手として最も基本的な注意義務に違反し、過失は非常に重大。執行猶予にすべきとは認められない」と述べていました。
この事故が起こる約2ヶ月前の2006年12月には、風見しんごさんの妹の夫が大腸ガンにより39歳の若さで亡くなっており、自身のホームページでは「生まれてくる命、散っていく命、僕にとって、まさに、命を考えさせられる1年でした」と綴っており、それから間もなく最愛の娘も突然亡くし、そのショックは計り知れないものがあります。
えみるさんの同級生によると、ダンスクラブに入っていたえみるさんは将来、タップダンサーや芸能界に近い仕事の美容師も良いなと話していたといい、明るく元気で勉強もでき、リーダーシップもあったといいます。
また、当時3歳だった妹・ふみねさんの面倒もよく見ていた良いお姉さんで、中学受験も目指して塾に通うなどしていたそうです。
そんなえみるさんについて風見しんごさんは、事故発生1週間前に放送の番組内で「まだ一緒にお風呂に入って、シンクロのまねをして遊んでいる」「あと4、5年したら一緒に街を歩いて、写真に撮られて、実は娘です、なんて言ってみたい」などと嬉しそうに話していました。
しかし、自宅近くの交差点で交通事故に遭い亡くなり、その後さらに3人目の子供の妊娠が発覚したものの死産し、その悲しみは想像を絶するものがあるのですが、現在は家族一人一人が前を向き、前進することが出来ているようなので少しホッとしました。
次女のふみねさんは現在アメリカの学校に通い、将来の夢は舞台女優とのことなのですが、えみるさんやこころくんの分まで頑張り、夢を達成してほしいですね。