シンガーソングライター・miwaさんの夫で、リオデジャネイロ五輪の競泳400m個人メドレーの金メダリスト・萩野公介選手(はぎの・こうすけ 27歳)が、現役引退することが明らかになりました。
正式発表はまだですが、関係者への取材で現役引退が判明したと複数のメディアが伝えており、すでに所属する『ブリヂストン』などにも引退の報告を済ませているとのことです。
『共同通信』によると、現役引退後は大学院への進学などを検討しているそうです。
萩野公介選手は東京五輪の200m個人メドレーに出場するもメダル獲得とはならず、6位入賞という結果で、大会終了後から休養に入って関係者への挨拶回りを行っていたといい、『競泳国際リーグ(ISL)』への参加オファーがあったものの、「休みたい」との理由で固辞していたとのことです。
そして、萩野公介選手の現役引退報道を受けて、小学生時代からのライバルで友人の瀬戸大也選手はツイッターを更新し、「彼の背中をずっと追いかけて来たから今の自分がいる。自分にとって本当に偉大な存在だった。寂しいけどまだ自分には挑戦する事が沢山あるし同じ舞台の金メダルを取ってみたいから頑張る。最高の思い出をありがとう。お疲れ様!!」
とツイートしています。
<↓の画像は、瀬戸大也選手のツイート写真>
また、ネット上では、
- ロンドンでの衝撃デビューは忘れられない。東京五輪200m個人メドレー準決勝で見せた涙は既に引退を決意していたからだったのかな。
もうひと花咲かせて欲しかった気もするけど…お疲れ様でした。 - 一ファンとしては、あの自転車事故がなければ‥と思ってしまします。リハビリ経験や挫折など色々な経験をしたと思うので、後進の育成に活かしていただきたいです。本当にお疲れ様でした
- 北島康介の後の男子水泳界を牽引した功績は計り知れない。競技生活の終盤はメンタル面での不調もあり、五輪でもベストで挑めたわけではないでしょうが、全盛期は本当にすごかった。お疲れ様でした!
- 一度競技から離れて戻ってくるのも大変な中で、オリンピックに出場できたのは本人の努力の賜物。かっこよかった
指導者にも向いてそうだし新しい後継者を育ててほしいね。まずはゆっくり休んでください、お疲れ様でした。奥様、子供たちともお幸せにしてください。 - オリンピックで涙を見せながら幸せだと話している姿を見て、もしかしたらと思っていました。
山あり谷あり、本当に大変な現役生活だったと思います。まだまだ続けて欲しかったけど…もうやり切ったのでしょうね。本当にお疲れ様でした! - 完全無欠のリオの金。その後、燃え尽き症候群や結婚でも叩かれ、それでもここまで上がってきた。
日本水泳界のこれからを引っ張っていく人。功績は色褪せません。長い間お疲れ様でした。今大会、決勝進出の際に流した涙が印象的です。
など、労いの声が相次いで寄せられています。
萩野公介選手は小中学校時代から数々の記録を打ち立て、作新学院高校進学後の2010年には、日本選手権の400m個人メドレーで2位となり、パンパシフィック水泳選手権の日本代表に選出され、高校3年時の2012年には日本選手権の同種目で日本高校新記録をマーク、ロンドン五輪への出場権を手にしました。
高校生での五輪出場は北島康介さん以来だったほか、日本新記録を出して銅メダルを獲得し、200m個人メドレーでは5位入賞の結果でした。
高校卒業後の2013年には東洋大学文学部へ進学し、その後も様々な大会で好成績を残してリオデジャネイロ五輪に出場、400m個人メドレーで金、200m個人メドレーで銀、4×200mリレーで銅メダルを獲得し、同年には紫綬褒章を受章しました。
<↓の画像は、リオデジャネイロ五輪での瀬戸大也選手と萩野公介選手の2ショット写真>
萩野公介選手は2015年に自転車事故によって右肘を骨折し、リオデジャネイロ五輪終了後に手術を受け、無事に成功したものの、術後に調子が上がらずスランプに陥りました。
2018年には肝臓の数値に異常が見られ3週間入院し、医師からは「動いたら死ぬ」と言われるほど体調が悪化し、復帰後も成績が伸び悩み、2019年3月からモチベーション低下を理由に休養、同8月にレース復帰を果たしました。
そして、東京五輪に出場を果たし、ライバルで友人の瀬戸大也選手と共にメダル獲得に大きな期待が寄せられていたものの、3大会連続でのメダル獲得とはなりませんでした。
200m個人メドレーで準決勝を突破した際には号泣し、瀬戸大也選手との対決が実現することに対して「神様がくれた贈り物としか思えない。すごく今、幸せです」と語り、決勝が終了後には「僕自身にも『ありがとう』という感謝の気持ちです」などとコメントしていました。
<↓の画像は、東京五輪で対決した瀬戸大也選手、萩野公介選手の写真>
萩野公介選手は右肘手術後に成績が落ち込み、その間に妻・miwaさんと出会い交際に発展、レース復帰後間もなくできちゃった結婚が明らかとなり、ネット上で物議を醸しました。
その後少しずつ調子を上げて東京五輪の日本代表に選出され、メダル獲得とはならなかったものの、萩野公介選手はインタビューで、「今回は順位も悪いけど、一番幸せな五輪だった。しんどいなと思って後ろを振り返った時、たくさんの人が後ろにいることに気づけた」と語っていました。
2016年のリオデジャネイロ五輪以降は成績が低迷し、思うような成績を残せずに厳しい状態が続いていたものの、最後に東京五輪出場を果たして瀬戸大也選手との対決も実現し、メダルは獲得できませんでしたが多くの人に感動を与えたと思います。
もう少し現役を続けて欲しかったとの思いもありますが、東京五輪をもって現役引退というのは前から考えていたことだと思いますし、今後は大学院への進学なども検討しているとのことで、新たな挑戦を応援したいですね。