元サッカー日本代表で、Jリーグ『ベガルタ仙台』に所属する平山相太選手(ひらやま・そうた 32歳)が26日、現役引退を決意したことを発表しました。
平山相太選手は『ベガルタ仙台』を通じて引退することを発表し、「度重なるけがのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。まず、開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています。」
とコメント。
また、「小学生からサッカーを始め、小倉東サッカースポーツ少年団、ながながSC、田原中学、国見高校、筑波大学、現在までご指導いただいた方々のおかげで今日までプロサッカー選手としてプレーすることができました。今でも先生方、監督は自分の憧れ、夢、目標です。ご指導いただきありがとうございました。最後に、どんなときも笑顔で支え続けてくれた妻と子どもたち、15歳で家を出て心配ばかりかけてしまった両親に心から感謝しています。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。13年間たくさんのご声援、本当にありがとうございました」
と感謝の言葉も綴っています。
平山相太選手は2001年に長崎のサッカー強豪校・国見高校に進学し、1年生の時から主力選手として活躍する姿を見せ、2003年には『FIFAワールドユース選手権』(現:U-20ワールドカップ)の日本代表メンバーに選出され、1学年下ながら準々決勝からはスタメン起用されました。
同年末から開催の『第82回全国高校サッカー選手権』では、前年に引き続き得点を重ね、大会史上初となる2年連続の得点王となり、2004年アテネ五輪のアジア最終予選の代表メンバーに高校生で唯一選出されるなどし、身長190センチという長身を活かしたプレーによって得点を量産する姿から、サッカーファンらの間では“怪物”という異名で呼ばれていました。
<↓の画像は、国見高校時代の平山相太選手の写真>
そんな平山相太選手が高校を卒業する前には、国内のクラブだけでなくヨーロッパのクラブからも獲得オファーがあったものの、オファーを全て断り筑波大学に進学。
大学時代にも各年代の日本代表に選出され、2005年7月にはオランダのクラブチーム『フェイエノールト』に短期留学し、同8月には『ヘラクレス・アルメロ』と3年契約を交わし入団。
デビュー戦では2得点を決める活躍でチームの勝利に貢献し、同年のシーズンではチーム最多の得点を挙げました。
<↓の画像は、ヘラクレス時代の平山相太選手の写真>
2006年にはFIFA(国際サッカー連盟)が選出する『ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006』にノミネートし、同4月には休学していた筑波大学を自主退学してサッカーの活動に専念する決断をしたのですが、新監督の監督を得られなかったことなどを理由に、2007年9月に『ヘラクレス』を退団し、帰国後は『FC東京』へ入団することが決定しました。
『FC東京』では、前線での守備やポストプレーによって、攻撃の起点として活躍していましたが、2011年4月に脛骨・腓骨を骨折して長期離脱、復帰後の2012年5月には腓骨・短腓骨筋の挫傷で再離脱を余儀なくされ、2014年には右足首の内果(うちくるぶし)を骨折しています。
さらに、2017年に『ベガルタ仙台』へ完全移籍後も、練習試合中に右足首を負傷するトラブルに見舞われ、同チームに移籍後は公式戦に1試合も出場しないまま現役引退を発表したのですが、平山相太選手の現役引退に対してネット上では、
- マジか!?怪物も伸び悩んだなぁ…若い頃にもっとプロ意識を高く持ってオランダで鍛えていればまた運命も違ったかもしれない。でも下のカテゴリーならもっとやれそうなだけに勿体ないな…お疲れ様、第2の人生頑張って下さい。
- 世界レベルのストライカーになると期待されていたものの、普通のストライカーにすらなれなかったな。すごいもったい無かった。一時期太っていたし、サッカー以外の所で自分を潰してしまったね。おつかれさま。
- 国見時代は、別格だった。筑波行かずに海外か鹿島あたりに行ってたら、サッカー人生変わってたろう
- Jのクラブを経由しないで大学→ヘラクレスに行ったのがまずかった。国見時代は、高校生相手に体格で圧倒していただけ。それを勘違いして、プロの基礎を学ばずに海外に行ってしまった。ガス(FC東京)を選んだのもダメだった。
- 平山が出てきた時は希望しかなかった。決定力があって190cmもある世界レベルの大型FWがついに誕生したと思った。森本貴幸と一緒に10年は安泰と喜んでいたのに……まさか代表に呼ばれることすら殆どないとはねえ……
などのコメントが寄せられています。
平山相太選手は体格にも恵まれているため、海外の選手とも競り合える大型フォワードとして期待を集め、実際に代表戦でも多くの得点を稼いでチームの勝利に貢献していた時期もあったのですが、ケガの影響で試合に出られない期間も長くあり、2015年は期間通算2試合で0得点、昨年に至っては公式戦出場は無く、ケガなどによって選手としてのピークも過ぎていた様子なので、引退は仕方なかったのかもしれないですね…。
サッカーは野球などと比較すると選手寿命が短いスポーツとして知られており、プロサッカー選手としての平均寿命はたったの2~3年、平均引退年齢も25~26歳とも言われるほど短く、30代前半で引退というのは特別早いというわけではありません。
しかし、平山相太選手はかつて日本代表として活躍していた選手で、チームさえ選ばなければまだプロとしてプレーすることはできたのではないかと思う部分もあり、ここで現役引退をしてしまうのは少し残念ではあります。
それほどケガの状態が思わしくないということなのだろうと思いますが、もう少し平山相太選手のプレーを見たかった気持ちもありますね。
平山相太選手は今後、どのような道に進んでいくのかは不明で、サッカーから完全に離れる可能性も十分ありますが、これから新たに始まる第2の人生での活躍に期待したいところです。