元サッカー日本代表のキャプテンで、「ボンバーヘッド」が代名詞となっていたJリーグ『横浜F・マリノス』の中澤佑二選手(なかざわ・ゆうじ 40歳)が8日、2018シーズンをもって現役引退することを、クラブの公式サイトや自身のブログ上で発表しました。
中澤佑二選手はクラブの公式サイトで、このタイミングで現役引退を決意した経緯、理由について、「自分の中では、プロ20年目となる昨シーズンを一つの区切りとして考え、全てを出し切るという思いで最終戦まで走り続けました。そしてシーズンを終え、改めて自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニフォームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになるんじゃないかなという思いになりました。」
と説明しています。
2019シーズンも現役続行という選択もあったそうですが、「最後は”中澤佑二”らしく、自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなくピッチを去ろうと思います。」
とし、最後には自身のファンやチームのサポーター、チームメイトやスタッフ、関係者等に感謝し、今後については「これからゆっくり考え、また皆さんにご報告出来たらと思います。」としており、クラブによれば今後引退会見などは行わないといいます。
<↓の画像が、横浜F・マリノス公式サイト掲載の中澤佑二選手のコメント全文の写真>
また、自身の公式サイト上ではこれまでお世話になった様々な人たち、クラブなどにそれぞれ感謝の言葉を綴り、最後には両親に対して、「中1の時にサッカー部を辞めようとしていた僕に『自分でサッカーをやるって言ったんだから、ちゃんと最後までやれ!!』と言って叱ってくれたおやじ。無職だった僕に『22歳までなら自由にサッカーをやっていいよ』と言ってくれたおふくろ。本当に本当にありがとう。」
と感謝し、「みんな元気でね。バイバイ。」と締めくくっています。
そして、中澤佑二選手の現役引退発表に対してネット上では、
- 日本の歴代DFの中でも屈指の選手でした。長い間、お疲れ様でした
- DFとしては異様に長い現役だったなあ。体調管理の徹底ぶりは凄かったから、引退したらゆっくりして欲しい。
無名の選手でも代表にまでになって沢山の選手の励みになったんじゃないかな。手術してまで現役にこだわったんだから、もっと続けさせてあげたかったよ。 - 中澤さんがいたから安心して攻撃に集中出来たチームメイトは沢山いました。
クレバーでサッカーの為に生きてきた中澤さんが決断したのなら、あとは将来、代表監督として戻って来てくれるまで応援し続けていきます。長い間、日本の為にありがとうございます - いろんな雑草魂やサクセスストーリーあるけど中澤は一番だと思う。まさかここまでの選手になるとはだれも思わなかった選手。
ファンサービスといいすべてが本当のプロだった。お疲れボンバー。次の世界での活躍期待します - 朝から凄いショックです。最後の試合で復帰してきた時点で少し嫌な予感はしたけど、まだ望みはあると思ってた…
当初から40歳が節目とは言ってたけど、まだまだ通用する技術といるだけで周りを鼓舞できる数少ない選手でした。
まぁ、性格的にストイックで妥協が出来ない選手だし、納得できる状態に自分が無いと判断しての事。
ファン感での名物だった中澤と愉快な仲間たちも好きだった。本当に今までお疲れ様でした!出来ればマリノスの裏方として今後も関わって欲しいです! - ストイックなまで細部にこだわる繊細さと、野性味あるプレースタイルの両方持ち合わせた稀代の選手だった。
膝の怪我は、選手としてだけではなく、これから長い人生、日常生活にも支障をきたすようになるかもしれない。
大ファンの安室奈美恵さんが引退したことで、自分もそういう気持ちになったのでしょう。身体をお大事に。
など、これまでの素晴らしい活躍を讃え、20年に及ぶプロ生活を労うコメントが多数寄せられています。
中澤佑二選手は1999年に『東京ヴェルディ1969』と契約し、デビュー後すぐにレギュラーとなり、新人王を獲得すると共に、2000年のシドニー五輪出場を目指すU-23サッカー日本代表に招集されました。
その後2002年には『横浜F・マリノス』へ移籍し、2012年9月~昨年8月にかけてゴールキーパーを除くフィールドプレーヤーとしては歴代最多となる199試合出場、2013年7月から178試合連続フル出場という記録を残しています。
<↓の画像は、『横浜F・マリノス』でキャプテンを務めていた中澤佑二選手の写真>
また、1999年から招集された日本代表としては、2006年と2010年のワールドカップなどに出場し、出場試合数は現時点で歴代6位タイとなる110試合(17得点)となっています。
そんな中澤佑二選手は日本を代表する守備の要、さらにセットプレーでの得点源として、素晴らしい活躍ぶりを見せていましたが、昨シーズンは慢性的な左膝の痛みに悩まされ、記録を更新し続けていたJリーグでの連続試合出場記録がストップしました。
しかし、昨年12月1日には約3ヶ月半ぶりに復帰し、ホームでキャプテンマークを付けて8分間ピッチに立ち、これが現役最後に出場した試合となり、J1リーグでの通算出場試合数は593試合で、歴代3位の記録となっています。
今年11月には、中澤佑二選手とともに『横浜F・マリノス』、日本代表などで活躍したGK・川口能活さん(43)が昨シーズンをもって引退、同じく日本代表や『鹿島アントラーズ』で活躍の小笠原満男さん(39)も昨年12月に引退を発表するなど、日本サッカーの一時代を築いた名プレーヤーたちがピッチを離れる決断をしています。
中澤佑二選手も含めて、40歳まで現役を続けられる選手というのはほんの一握りで、ケガの影響などで本人が満足できるようなプレーが難しくなっていたため、現役引退は仕方がないことだとは分かるのですが、これまで様々な素晴らしいプレーを見てきたので、寂しい気持ちでいっぱいです。
中澤佑二選手も現時点では今後何をするのかはまだ決まっていないといい、サッカー以外の活動を始める可能性も十分ありますが、出来れば今後またいつかサッカーに携わった活動をする姿を見せてほしいですね。