1962年設立の『ジャニーズ事務所』が、創業者・ジャニー喜多川さんの性加害問題を受けて今日をもって屋号を下ろし、『SMILE-UP.(スマイルアップ)』に変更されるのを前に、元ジャニーズJr.の田中斗希さん(たなか・としき 30歳)がジャニーさんからの性加害を告発しています。
田中斗希さんは、中山優馬さんや『SixTONES』の京本大我さん、ジェシーさん、森本慎太郎さん、『Snow Man』の岩本照さん、向井康二さん、元『Hey! Say! JUMP』の岡本圭人さん等と同じく2006年にジャニーズ事務所に入所し、アイドル活動をスタートさせました。
しかし、入所から2年後に、Hey! Say! JUMP・高木雄也さんの悪質な追っかけファン(通称:ヤラカシ)で、後にアイドルグループ『PASSPO☆(ぱすぽ)』のメンバーとなる岩村捺未さん(32)とのプリクラ写真が流出し、これによって一度目のクビとなりました。
<↓の画像が、田中斗希さんと岩村捺未さんの流出プリクラ写真>
それから4年後に、田中斗希さんはジャニー喜多川さんに土下座謝罪して異例の再入所を果たしたとされ、実際に一度クビになりながらも滝沢秀明さんの舞台に起用されたり、『Kis-My-Ft2』の曲『キミとのキセキ』のミュージックビデオに出演するなど、大きな仕事を獲得していました。
しかし、2014年に東京・新宿二丁目にあるホストクラブ『Jannys(ジャニーズ)』で働いていることや、その店はプラス3万円でお泊りデートも可能というオプションもあることを週刊誌『週刊女性』に報じられ、この報道が原因で謹慎処分を受け、その後『フライデー』によって謹慎中に“慰めパーティー”が行われていたことを報じられ、そのまま復帰することなく退所となりました。
2度目のクビとなって以降は再び水商売をしたり、週刊女性の記者としても活動しており、元タレント・セクシー女優の坂口杏里さんとの親密関係でもちょっとした話題になりました。
そんな田中斗希さんが週刊女性でジャニー喜多川さんの性加害を告発しています。
<↓の画像が、週刊女性で性加害を告発した元ジャニーズJr.田中斗希さんの写真>
12歳の時にジャニーズのオーディションに参加し、NHKの7階にあるジャニーズ専用のリハーサル室へと向かい、ダンスを踊っているとジャニー喜多川さんから声を掛けられ、ジャニーズ事務所に入ることになったそうです。
それから数ヶ月後の2006年夏の終わりから秋口ごろに、ジャニー喜多川さんから「ユー、僕の家に遊びにおいでよ」と誘いを受け、他の5人のジャニーズJr.と共にマンションに遊びに行ったそうです。
そして、夜になってジャニー喜多川さんから指示を受けて寝室に行ったものの、田中斗希さんはなかなか寝付けずに居たところ、ジャニー喜多川さんが部屋に入ってきたかと思えば、「ユー、マッサージしてあげるよ」と言ってボディタッチを始め、やがて股間を弄りだして口で性的な行為をされたとのことです。
人生で初めてこうした行為をされた田中斗希さんは当時を振り返り、「ジャニーさんの行為をどう受け止めればいいかわからず、戸惑いました。社長だから拒絶できなかったのもありますが、イヤだって気持ちは正直あまりなかったんです。友達みたいに接してくれるので好きだったし、行為のあった翌日は3万円ほどのお金をもらえましたから。でも、いま思えばそれこそが“支配”だったとも感じます。親にも恥ずかしくて言えませんでした」
と語っています。
田中斗希さんが性加害を受けたのはこの日だけでなく、その後もジャニー喜多川さんの自宅に頻繁に呼ばれ、合計で30回以上も行為をされたとカミングアウトしています。
性加害の見返りは現金だけではなく、実際に仕事を貰えたことで耐えることが出来た側面があり、「ある時、ジャニーさんに呼ばれて、他のJr.と3人で並ばせられたんです。『ユーたち同じぐらいの身長だね』と言われ、そこから雑誌とかの取材を3人で受けるようになりました。出演していたNHKの『ザ少年倶楽部』ではマイクを持たせてもらえて、歌えるようになった。その時は純粋に嬉しかった」
と語っています。
性加害を受けると仕事が与えられることに気付いたのは、Hey! Say! JUMPがデビューした2007年のことだったそうで、「連れて行ったJr.の子が、夜にジャニーさんから性被害を受けると、次の番組収録などでいい立ち位置になったり、マイクを持って歌えるようになるんです。そこで初めて、性行為をされることで“出世”できるシステムがあるのだと気がつきました。もちろん、性被害を受けずとも、スターになる人はいますけど」
と語っています。
そして、田中斗希さんはいつしかジャニー喜多川さんの自宅マンションの鍵を渡されるほどのポジションまで上り詰めたそうですが、「ジャニーさんから『あの子を連れて遊びに来なよ』と指示を受け、僕がそのJr.を連れて行くような立場になっていました。それがジャニーさんに“加担する行為”だと気がついたのは、だいぶ後になってから。思い返せば、連れて行った子たちは何人もジャニーズを辞めていきました」
と、知らない間に自分も性加害に加担する行為をしていたと打ち明け、中には「親から『ジャニーさんにヤられてこい』と言われたと話す子もいました。」とも語っています。
自身も性加害を助長する行為をしていたことに対する強い罪悪感により、性加害問題が大きな波紋を広げる中で、自分も消えてしまいたいと思うほど胸が苦しくなっているとしています。
そんな田中斗希さんは2009年にジャニーズ事務所を一度目の退所となり、翌年に再入所し、退所を経て2012年に再入所をしたそうですが、17歳の時にも再び性加害に遭ったといい、「当時は彼女もいたし、本当にイヤだったんです。売れるには、やっぱりジャニーさんとヤらなくちゃいけないんだと絶望して、2か月ほどで辞めました。19歳で2度目に戻ったときは、さすがに呼ばれなくなりました。ジャニーさんは小さい子が好きだったので」
と語っています。
田中斗希さんは男性も女性も恋愛対象の両性愛者であることを公言しているのですが、その背景にはジャニー喜多川さんから受けた性加害があるといい、「自分のセクシュアリティーがもうグチャグチャで……。女の子が大好きでめちゃくちゃ遊んでいましたけど、男とも遊べる。自棄になって、カラダを売ってお金を稼ぐこともありました」
と明かしています。
また、フライデーによって田中斗希さんが謹慎中に出席したパーティーで、両性愛者だと公言していたことを報じ、当時ファン等を騒然とさせていたのですが、この報道がきっかけで田中さんは謹慎処分を経てジャニーズをクビになり、さらに妹は学校でイジメに遭い高校を中退したといい、田中さんはこの頃に大きなストレスを感じて通院もしていたそうで、この頃はジャニー喜多川さんを強く恨み「全部アイツにヤられて俺の性が狂ったからだ、クソじじい」と思っていたと明かしています。
<↓の画像が、田中斗希さんが謹慎中のパーティーを伝えたフライデーの報道写真>
しかし、田中斗希さんの場合は時間の経過や様々な人との出会いにより、心の傷も癒えてジャニー喜多川さんに対する恨みや記憶も薄れているそうで、今ではジャニーズ事務所に対して感謝の気持ちが強いそうで、「いろんな仕事をやっていけるのも“元ジャニーズ”という肩書があるから。被害を受けた元ジャニーズの友人も同じように感謝している。なので、声をあげない被害者もいっぱいいるはず。」
と語っています。
その逆もしかりで、この問題が大きく報じられるほど過去の嫌な記憶がフラッシュバックし、苦しんでいる友人もいるとした上で、「被害者は、僕たちなんです。だからこそ、1日も早く、この騒動が収まることを願います」
と訴えています。
田中斗希さんは、元ジャニーズJr.の岡本カウアンさんが会見で性加害を告発した直後にX(旧・ツイッター)で、「何がしたくて動いてるの?笑 好き好んで社長に抱かれてた人が何を今更 笑 されるのわかってて会いに行ってたよね?笑 性的被害?笑笑 被害とは」「なんか、これ系のニュースほんとうんざり。何を今更言ってるの?って感じだし ってか死んでから言うんだって感じだし 死んだらメディアとかも扱うんだって感じだし なんも知らない人たちが騒いでて面白くない」
などと綴っており、ジャニーズファン等の間で物議を醸していました。
このように元ジャニーズJr.たちの性加害告発に対しては否定的な立場だった田中斗希さんですが、ここに来てかねてから囁かれていた性加害について告白し、岡本カウアンさんに対するセカンドレイプ発言や、田中さん自身も様々な問題を起こしてきた方なので様々な声があるかと思います。
ただ、田中斗希さんはこれまでの被害告発者とは異なり、ジャニー喜多川さんから性加害を受けたことにより、自身のセクシャリティにも大きな影響を及ぼしたと赤裸々告白していて、非常に貴重な告発かと思います。
田中斗希さんと同様に、人生で初めて性的な行為をされたのがジャニー喜多川さんだったという元ジャニーズJr.は多いとみられ、その中には田中さんのように自暴自棄となり、その後の人生に大きな狂いが生じてしまったという人も中にはいるとみられます。
ジャニーズ事務所は今日をもって屋号を下ろしてスマイルアップ社となり、そして11月からは補償業務を開始予定としていますが、これから1人でも多くの被害者の声を聞き、しっかりと金銭補償などを実施していってほしいと思います。