ノンフィクション作家・インタビューアーの小松成美さん(57)が8月1日に著書『M 愛すべき人がいて』を出版し、歌手・浜崎あゆみさん(本名=濱﨑歩 40歳)が『エイベックス』の代表取締役会長CEOで、音楽プロデューサーの松浦勝人さん(まつうら・まさと 別名=MAX松浦 54歳)との交際を初告白していることが明らかになりました。
『M 愛すべき人がいて』は、浜崎あゆみさんへの取材を基に、1998年に歌手デビューする前からトップスターへ上り詰めるまでのサクセスストーリー、そこに秘められた出会いや別れの物語を赤裸々に描いた小説で、著者の小松成美さんはこれまでに、『中田英寿 鼓動』『勘三郎、荒ぶる』『YOSHIKI/佳樹』『五郎丸日記』『それってキセキ GReeeeNの物語』『熱狂宣言』『虹色のチョーク』などを執筆しています。
<↓の画像は、『M 愛すべき人がいて』の表紙写真>
『M 愛すべき人がいて』では実在の人物が実名で登場し、17歳だった浜崎あゆみさんがブレーク後の1999年までの約4年間の物語が描かれており、浜崎さんの代表曲『Boys&Girls』や『M』などが2人の交際の中で生まれた楽曲であることなども明らかにされています。
8月1日発売の週刊誌『女性セブン』によると、浜崎あゆみさんは2000年から7年にわたりTOKIO・長瀬智也さんと交際し、2人は交際宣言してお揃いのタトゥーを入れたり、報道陣の前で手つなぎツーショットを披露するなど堂々と交際しており、結婚も囁かれていました。
<↓の画像は、浜崎あゆみさんと長瀬智也さんの手つなぎツーショット写真>
<↓の画像は、交際宣言コメントの写真>
しかし、2007年に浜崎あゆみさんは公式ファンクラブで破局を報告し、「7年間もの月日を共に歩んできた同志なわけだから、いきなり『さよならっ。ハイ、他人。』なんてなるわけもなく、今までと変わらず連絡も取り合うし、一緒にゴハン食べたりもするんだなぁ」「つまりね、私達は恋人同士という枠を越えて、家族のような兄弟のような、そんな関係になったんだよね」
などと綴っていました。
その後、浜崎あゆみさんは外国人男性との結婚と離婚を繰り返したため、「長瀬との恋が尾を引いているのではないか」とも囁かれていましたが、今回出版される『M 愛すべき人がいて』で松浦勝人さんとの恋愛が浜崎さんの人生を大きく変え、最大の柱だったことがうかがえるといいます。
本には「事実に基づくフィクションである」という断りがありますが、レコード会社関係者は、「小松さんがあゆを長期間にわたって取材してまとめたのがこの本で、大部分は事実だと思われます。当時を知る人の間では“あゆの暴露本”とさえ囁かれています」
と語っています。
実際に、これまでごく一部の人しか知らなかった内容が綴られているといいます。
浜崎あゆみさんは1978年10月2日に福岡で生まれ育ち、幼少期には父親が蒸発して母親と祖母の3人暮らしとなり、小学生の時に『SOSモデルエージェンシー福岡』にスカウトされてモデルデビュー、その当時は「浜崎くるみ」の芸名で活動しており、地元の銀行ポスターや商業広告に登場していました。
<↓の画像は、幼少期の浜崎あゆみさんと両親の写真>
<↓の画像は、浜崎あゆみさんと母親の写真>
そうした活動を経て芸能事務所『サンミュージック』を紹介され移籍、母親と祖母と共に上京して1993年にドラマ『ツインズ教師』(テレビ朝日系)で女優デビュー、1994年には芸名を「浜﨑あゆみ」に改名、同4月には堀越高校に入学しました。
<↓の画像は、女優デビュー当時のプロフィール写真>
その後は女優、グラビアアイドル、歌手としても活動する中で、年齢を誤魔化して東京・六本木のディスコ「ヴェルファーレ」に入店し、そのVIP席で当時『エイベックス』の専務であり、カリスマプロデューサーだった松浦勝人さんと出会い、1996年末には『サンミュージック』との契約が終了し、ボイストレーニングのためにニューヨークへ渡り、1998年4月にシングル『poker face』で現在の芸名である「浜崎あゆみ」として歌手デビューを果たしました。
<↓の画像が、歌手デビュー前の浜崎あゆみさんの写真>
『M 愛すべき人がいて』の中ではデビュー秘話について、「専務は、3人か4人のグループにして、そのボーカルに私を、と言った。(中略)私には無理。グループの中では自分を表現できない。(中略)小学校の通信簿にも、6年間、協調性の欄に『努力しましょう』と書かれていた。(中略)1人でいれば、人の顔色をうかがわず、自分のペースで生きることができる」
などと綴られており、このように考えた浜崎あゆみさんは松浦勝人さんに「1人で歌わせてほしい」と直談判し、ソロデビューが決まったそうです。
そして、浜崎あゆみさんは松浦勝人さんに恋心を募らせるようになり、当時書いた歌詞は松浦さんへの切ない恋心だったといい、「頭に思い浮かぶ語彙(ごい)のすべては、その人への想いの偽りのない反映だ。(中略)ノートに書いた文章は、つまりラブレターだった」
としています。
そうした思いを抱きながら1998年にデビューを果たし、デビュー当初は評判があまり良くなかったものの、松浦勝人さんは浜崎さんに対して並々ならぬ情熱を注ぎ、あるテレビマンが「浜崎あゆみは人気が出ない」と言い放った際には、殴りかかろうとしたこともあったそうです。
一方の浜崎あゆみさんは松浦勝人さんへの思いが抑えきれなくなり、自身の思いを本人に伝えたそうです。
松浦勝人さんは1995年にモデル・原口香さんと結婚しましたが、程なくして離婚しており、浜崎あゆみさんと交際に発展後は、松浦さんが浜崎さんに運命的な告白をしたそうで、「私がドアを開けると、スーツを着た専務が立っていた。そして、(中略)母に一礼すると、こう言った。『あゆみさんと付き合っています。真剣です』」
というエピソードが明らかにされています。
こうして2人はその後同棲生活をスタートさせ、浜崎あゆみさんは15歳年上の松浦勝人さんのことを「マサ」と呼び、2人の関係がより密なものとなっていき、2人の関係に気付いた『エイベックス』の幹部からは猛反対されたものの、松浦さんが周囲を説得したといいます。
著書の中で浜崎あゆみさんは、「恋愛に勝るパワーはない。マサのそんな呟きを1、2度聞いたことがあって、私は勇気凛々だった」
と振り返り、その当時は世間に松浦勝人さんとの関係を知られないように細心の注意を払い、携帯電話の電話帳でも松浦さんのことは「M」と登録していたそうです。
しかし、2人の交際は1999年には終わりを迎えることになり、お互いに仕事が忙しく過ごせる時間は限られ、徐々にすれ違いが生じていき、ある日の夜に松浦勝人さんが寝泊まりしているマンションを訪れたところ、松浦さんがスタッフや美女たちと飲み会をしており、その光景にショックを受けた浜崎あゆみさんは、誰にも居場所を伝えることなく2日半にわたってホテルに身を隠していたといいます。
このエピソードについて『女性セブン』の記事ではレコード会社幹部が、「これは関係者しか知らない実話です。この時の思いを詞に落とし込んだのが翌年4月から3か月連続でリリースした『vogue』『Far away』『SEASONS』で、詞がかなり暗く、ファンの間では“絶望3部作”として知られています。この本により、あゆが抱えた絶望の理由が初めて明らかにされました」
としています。
こうして2人は1999年暮れに破局を迎えたといい、前出のレコード会社幹部は、「松浦さんと別れたあゆは、その後、カリスマアーティストとなり、エイベックスの全売上の4割を叩き出すほどの存在になりました。今思えば、あゆが松浦さん1人を思い続けていたら、数々の名曲は生まれなかったかもしれません。そう考えたら、別れは正しい決断だったともいえるのではないでしょうか」
と語っています。
『M 愛すべき人がいて』ではこの他にも、エイベックス移籍前に使用していた「浜崎くるみ」という芸名が苦手だったことや、4歳から父親と会っていないこと、デビュー曲の裏側にあった祖母の死など、どこまで事実なのかは定かではないものの、様々な秘話が盛り込まれているといいます。
そして、この告白本、暴露本とも呼べる本『M 愛すべき人がいて』に対してネット上では、
- 松浦さん奥様いるのに、大丈夫なの???
- とうとうここまで落ちたか。。
- そんな事今更言わなくても…
- ネタ切れで、苦しまぎれの告白だね。
- カッコ悪すぎ…時代を読めてない…だから今の状況がある…
- 浜崎あゆみさん、貴方は一時代を築いた人なのに。。。それをやってはおしまいだよぉ。とても残念。
- 松浦さんの彼女だったから、大々的に売り出されて成功したのね…としか思われないです。
今言うのは中途半端で、もっも晩年に…だったらまだいいですが、ここで言うのはダサいです。 - 当時、大変な人気があったのは確かだし、可愛らしい顔立ちとハイトーンボイスは魅力的だったけど、この内容だと「だから売れたんだ」と思われても仕方ないかも。
会長と交際ってのは墓場まで持って行った方が良かったのでは。 - 自分のプライベートを切り売りしないといけなくなったんですね。
今の現状をみれば、その社長の彼女だから推しに推されたから歌姫と呼ばれる地位にいたんだなとしか思えない。
ライバルと言われてた安室奈美恵とアーティストとしてここまで差がつくとね。 - 歌手は歌を歌う人だよね?なぜ過去の事をわざわざ本にするの?
ボイトレに集中して、歌に全力を注いでほしい。だって歌手なんだからさ。
などのコメントが寄せられており、今さらなぜ過去の恋愛を告白したのかと物議を醸しています。
浜崎あゆみさんと松浦勝人さんが親密な関係にあったのは有名な話で、デビュー当時から2人の関係が噂されていたほか、2004年にエイベックスでお家騒動が勃発し、松浦さんが独立を表明すると浜崎さんも追随する考えを明らかにしたり、2008年には『フラッシュ』が「浜崎あゆみとエイベックス松浦勝人社長の『抱擁写真』」と題し、2人が交際していた1999年夏に撮影されたものという密着ツーショット写真、キス写真を証拠として掲載していました。
<↓の画像が、『フラッシュ』掲載の浜崎あゆみさん、松浦勝人さんの写真>
しかし、2人は交際を認めることなく良好な関係を続け、2017年10月に行われた松浦勝人さんの誕生日パーティーに浜崎あゆみさんが出席し、インスタグラムに写真を投稿したり、松浦さんのツイッターに浜崎さんの活動についてファンから様々な意見が寄せられると、「ayuが ayuでいるために、ayuと色々と話すだけ。俺とayuの関係値を知らない奴に何も言われたくない。」「みんな色々言うわりにはあんまり何もわかってないな。俺たちはそんな単純な関係ではない。」
などの投稿をしていました。
こうした言動からも2人が親密な関係にあることがうかがえたので、ブレーク当時交際していたという事自体には特に驚きもありませんが、なぜ今さら過去の恋愛を明かした?という疑問は抱き、松浦勝人さんには奥さんもいるので、世間の反応も考えてこうした本は出さない方が良かったのではと思いますね。
ちなみに、松浦勝人さんは浜崎あゆみさんと破局後の2003年11月に、モデル・畑田亜希さん(はただ・あき 37歳)と再婚し、2004年3月に第1子となる長女(15)、2006年5月に第2子となる長男(13)、2007年10月に第3子となる次女(11)をもうけており、家族も複雑な心境なのではないでしょうか。
<↓の画像が、松浦勝人さんの妻・畑田亜希さんの写真>
浜崎あゆみさんは先日放送の『FNSうたの夏まつり2019』に出演し、以前に比べて体が細くなり、パフォーマンスも良かったと反響を呼んでおり、歌手としての評価が多少回復したように感じられたので、このタイミングでの松浦勝人さんとの関係告白はマイナスにしかならず、非常にもったいないなと思いますね。