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東山紀之と錦織一清&植草克秀のメンバー格差拡大がジャニーズ辞めた原因に? メリー喜多川も寵愛、給料にも大きな違いが…

少年隊・錦織一清&植草克秀が退所の裏側…東山紀之を特別扱い、収入格差で愚痴も? ジャニー喜多川前社長の死去も要因か

『少年隊』の錦織一清さん(にしきおり・かずきよ 55歳)と植草克秀さん(うえくさ・かつひで 54歳)が、年内をもってジャニーズ事務所を退所し、東山紀之さん(ひがしやま、のりゆき 53歳)だけが残留し、少年隊は解散とせず所属グループとして存続することが20日に発表されました。

この発表に少年隊のファン等から様々な声が上がる中で、週刊誌『週刊文春』のWeb版『文春オンライン』は、2人が退所に至った裏側やグループ内格差について伝えています。

<↓の画像が、少年隊のメンバー写真>

左から錦織一清さん、東山紀之さん、植草克秀さん

1985年にシングル『仮面舞踏会』でレコードデビューした少年隊は、1981年に『ジャニーズ少年隊』というグループ名で松原康行さん(まつばら・やすゆき 53歳)を含めた4人で結成され、その後に東山紀之さんが高校受験のため活動を一時休止。

同10月からスタートした音楽バラエティ番組『ザ・ヤングベストテン』(テレビ東京系)に、『Bチーム』(Aチームは後のシブがき隊)として3人がレギュラー出演し、近藤真彦さんや田原俊彦さん、ひかる一平さんのバックダンサーとして活動していました。

<↓の画像は、松原康行さんが在籍していた頃の写真>

左上から時計回りに、植草克秀さん、錦織一清さん、松原康行さん

1982年には、松原康行さんがドラマへの出演などスケジュールの都合でグループから抜け(後に芸能界引退)、受験を終えた東山紀之さんがグループに復帰して現在の3人となりました。

『文春オンライン』によると、当時から東山紀之さんはジャニーズ事務所内で“特別な存在”だったといい、東山さんがジャニーズ入りしたきっかけは、小学校卒業前に友人と3人でNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』を観覧した帰り道に、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていたところ、たまたま車で通りがかったジャニー喜多川前社長の目に留まり、その場で声をかけられるという異例の路上スカウトでした。

当時を知る芸能関係者は、「ジャニーさんは、東山さんをソロデビューさせる可能性も探っていたようですが、先にシブがき隊がデビューし、男性アイドルグループの注目度が高まってきた。その流れもあって、人気が出てきた少年隊で、メンバーとして活動させることにしたようです」と語っています。

<↓の画像は、ジャニー喜多川社長(左端)と少年隊の写真>

少年隊では、高い身体能力や歌唱力を持つグループ最年長の錦織一清さんがセンターに立つことが多かったものの、ジャニーズ事務所内で特別な存在だった東山紀之さんは、人懐っこい性格によってメリー喜多川会長(当時は副社長)からも可愛がられ、メリー会長の一人娘で現社長の藤島ジュリー景子さんとの関係も囁かれていたといいます。

当時の関係についてスポーツ紙デスクは、「ジュリーさんと東山さんは同学年で、仲も良かった。ジュリーさんは大学卒業後、フジテレビに入社しましたが、後にジャニーズ事務所に入り、早くから『後継者』として見られていました。そして、『将来は東山さんとジュリーさんが事務所の中心的存在になっていく』という期待も含めた声が、事務所の内外で広がっていました」と明かしています。

1990年代に入ると東山紀之さんの人気は少年隊の中では抜けた存在となり、1993年にはジャニーズタレントでは初めてNHK大河ドラマ『琉球の風』で主演を務めるなど、俳優として数多くのドラマや映画、舞台などに出演し、声質も評価されてナレーションの仕事も得るようになり、東山さんの仕事量が増えることで少年隊としての活動、錦織一清さんと植草克秀さんの露出が減少していきました。

これによって収入格差も生じていたといい、植草克秀さんは1990年代半ばごろに親しい共演者たちに、「僕とニシキ(錦織さん)は、月給30万円で働いているんです。ヒガシとは待遇が違いすぎて」と愚痴を漏らしていたとドラマスタッフが証言しています。

<↓の画像は、1990年代の少年隊の写真>

ただ、その後も舞台を中心に少年隊としての活動は続き、2008年まで23年にわたってミュージカル『PLAYZONE』で主演を務めていましたが、ミュージカルが終了するとともに少年隊としての活動は無くなり、活動休止状態となっていました。

その後は、植草克秀さんが俳優業、錦織一清さんは舞台演出に力を入れるようになり、東山紀之さんは俳優・タレントとして様々な番組に出演、司会業にも進出し、2017年からは情報・報道番組『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)のメインキャスターを務めています。

私生活では2010年10月に、2008年上演の舞台をきっかけに交際をスタートさせた女優・木村佳乃さんと結婚、2011年11月に第1子の長女、2013年5月に第2子の次女が誕生し、公私共に順調です。

また、東山紀之さんはジャニーズ事務所内でも地位を高めていき、所属タレントでは“ジャニーズの長男坊”と言われる近藤真彦さんに次ぐナンバー2のポジションに就きました。

一方の植草克秀さんと錦織一清さんもそれぞれ活動を続けてきましたが、ジャニー喜多川前社長が昨年7月に亡くなって以降、2人の活躍の場は激減していたといい、「その状況が嫌になった2人は、今年になってメリーさんに退所の意向を伝えたところ、少年隊の活動再開を提案され、いったんは踏みとどまったようです」と芸能関係者が明かしています。

しかし、メリー喜多川会長は今年9月4日に代表取締役を退任、名誉会長に就任したことにより、事務所の代表は藤島ジュリー景子社長となり、少年隊の復帰計画も消滅してしまったといいます。

これによって錦織一清さんと植草克秀さんは「ジャニーズ事務所に所属し続ける理由がなくなった」と判断し、ジャニーズ事務所からの退所を決断したとみられると『文春オンライン』は伝えています。

そして、この記事に対してネット上では、

などの声が上がっています。

少年隊ではダンス・歌唱力は錦織一清さんが一番だったという声が多いですが、カリスマ性などでは東山紀之さんの方が上だと判断されたことにより、ジャニー喜多川社長らからの寵愛を受け、ジャニーズ事務所内で特別な存在になっていたのかもしれません。

それによって、これまでに様々な女性スキャンダルがあっても事務所からのプッシュが続き、情報番組のメインキャスターを務めるまでになったとも考えられます。

東山紀之さんが特別扱いされていることに対して、錦織一清さん、植草克秀さんも多少思うところはあったかもしれませんが、特にメンバーの関係が悪化しているとの話はなく、2012年放送の『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)に出演した植草さんは、メンバーとの仲を聞かれると錦織さんとはプライベートでも仲が良く、お酒を一緒に飲んだりしていると明かし、東山紀之さんからもよく電話がかかってくると語っていました。

また、植草克秀さんは今年5月にジャニーズの公式有料モバイルサイトの連載で、最後の挨拶に決まって笑顔の絵文字を3つ入れている理由について、ファンから寄せられた「少年隊はいつも3人一緒だよ」という意味?との問いに、「あっ、気がつきましたね…!みんなも気がついてたよね…?」「気がついてくれて、ありがとね」と答えています。

錦織一清さんは今年8月にファンにサインを書いたそうなのですが、その時には「少年隊 錦織一清」と記していたといい、メンバーそれぞれグループに対する思い入れがあるからこそ、少年隊は解散とせずに存続という形になったとみられます。

ジャニーズ事務所の発表によれば、今後グループ活動の予定は無いとのことから事実上の解散となりますが、錦織一清さんは演出家として様々な舞台の演出などを手掛けており、植草克秀さんは近年仕事が減っているものの、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズ(TBS)などに出演しており、今後もそれぞれのフィールドで活躍する姿を見せてほしいですね。

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