『ジャニーズ事務所』の創業者・ジャニー喜多川さん(享年87)の実姉で、昨年9月に名誉会長に就任した“ジャニーズの女帝”であるメリー喜多川さん(本名=藤島メリー泰子)が、14日午前7時35分に亡くなられたことが分かりました。93歳でした。
発表によると、メリー喜多川さんの死因は「肺炎」で、東京都内の病院で息を引き取ったとのことです。
<↓の画像が、93歳で亡くなったメリー喜多川さんの写真>
『ジャニーズ事務所』は公式サイト上でメリー喜多川さんの訃報を伝え、「創業以来、メリーはジャニーが生み出したタレントを支えてまいりました。ファンの皆様が集う場所をファンクラブではなく、ファミリークラブだと申しておりました通り、タレントもファンの皆様も同じ家族の一員であるというその絆を大切にし、ジャニーズのエンターテイメントそのものが共に成長し、お楽しみいただける場所であることに情熱を注いでまいりました。これからも、その背中を見てきたタレントと社員がその思いを受け継ぎ、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。」
としています。
メリー喜多川さんの葬儀・告別式は、故人の遺志で近親者のみで執り行ったといい、お別れ会などを行う予定はないとのことです。
近藤真彦さんが退所後、ジャニーズタレントの中で最年長となった東山紀之さんはコメントを発表し、「厳しいマネージャーであり、良き理解者であり、そして、優しい母親でもありました。私の人生でなくてはならない存在のメリーさんが天国に旅立ちました。そんなメリーさんとの思い出の中で、忘れられない言葉があります。『私はタレントを守る為なら、いくらでも悪人になります』。私たちを常に守り、その美学の中で私は人生を歩み進める事が出来ました。年齢を重ね、先輩になり、親になっていく中で、若い頃から受けていた数多のアドバイスの真意がより理解出来るようになりました。メリーさんのような人になりたいと思っていた矢先の出来事でした。行く先々を明るく照らしてくれて本当にありがとう。天国のジャニーさんによろしくね。」
と綴っています。
『日刊スポーツ』の取材によれば、高齢となったメリー喜多川さんは病院で生活を送り、新型コロナウイルスなどには感染していなかったといい、最近まで体調に大きな変化もなく元気な様子だったそうです。
しかし、肺炎を発症したことで急死してしまったそうで、メリー喜多川さんの突然の訃報を受けてネット上では、
- マジか。でも93歳、長生きしたよね。ジャニーズはまたこれで少しいい方に変わっていくといいね。
- 巨星落ちるだね。この人もジャニーズを作った功労者。いろいろ言われようともすごい人。これから新しいジャニーズ体制になるからどんどん良くなることに期待。
- 本格的なジャニーズ帝国の凋落が始まるな
- ついにタッキー帝国となるのか
- これでようやくSMAPは解放されたね
- ジャニーズもこれで世代交代だな。タッキーがどの様な手腕を見せてくれるか
- 元SMAPのキムタク以外のメンバーが活動し易くなりそうですね。そういう意味では良かったかな。お悔やみ申し上げます。
- やっと本当の意味で世代交代か。すでにジュリータッキーの両輪体制に移行済ではあったけれど…
この先、2人がかつてのジュリー(&メリー)VS飯島のように、派閥争いで所属の子まで分断することだけはないように願いたい - ジャニーさんの後を追う様にか…。どんどん影響力ある人が鬼籍にはいったりトラブルなんかで退社したりと、ガラッと変わりそう。タッキー頑張れ
- 良くも悪くも影響力のある方だった。これで本格的にタッキーの力が試されることになる。
どこまで持ちこたえられるか、維持できるのか。これからが大変だね、タッキーも会社も。 - これを機にまともな会社になることを願います。力で押さえつければ必ず反動は来ますし、今の時代非人道的な運営は世論が許しません。
タッキーがトップに立てば少しは変わることを祈ってます
などの声が上がっています。
メリー喜多川さんは弟のジャニー喜多川さんが1962年に『ジャニーズ事務所』を創業後、所属タレントの衣装などを担当しながら、事務所の経営面やタレントの管理にも携わり、副社長として事務所を支えていました。
ジャニー喜多川さんはタレントのプロデュース、メリー喜多川さんは経営面での実権を握る存在で、マネージメントやメディア戦略、ファンクラブシステムの構築なども担っており、1970年代に歌手・郷ひろみさんが事務所移籍時には、メリーさんが『バーニングプロダクション』の周防郁雄社長、『渡辺プロダクション』の創業者・渡辺晋さんと話し合いを行い、バーニングへの移籍を許可しました。
所属タレント等を守るためなら手段を選ばないことでも知られ、タレント等のスキャンダルは圧力をかけて揉み消したり、意に沿わないタレントの“粛清”なども行い、事務所を上手くコントロールし“ジャニーズ帝国”を築き上げた人物でもあります。
そんなメリー喜多川さんは2015年1月に週刊誌『週刊文春』の取材に応じた際、当時SMAPのチーフマネージャーを務めていた飯島三智さん、当時副社長だった娘の藤島ジュリー景子さんの派閥争いに関する話の流れから、次期社長候補はジュリーさんだと明言した上で、その場に飯島さんを呼びつけて、「飯島、私はこう言いますよ。『あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい』と言いますよ」「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」
などと激怒しました。
この発言がきっかけでSMAPの分裂、解散騒動が巻き起こり、多くのファンや世間から猛バッシングを浴びることになりました。
それから3年後の2019年7月9日にジャニー喜多川さんがクモ膜下出血で亡くなり、同9月にメリー喜多川さんは代表取締役会長、藤島ジュリー景子さんが2代目社長に就任し、昨年9月にメリーさんは取締役を退任して名誉会長となりました。
その後は、メリー喜多川さんが実の息子のように溺愛していた近藤真彦さんが独立するなど、ジャニー喜多川さんが亡くなり、メリーさんが事務所の経営から離れたことで様々な動きがあり、『ジャニーズ事務所』の弱体化も指摘されています。
メリー喜多川さんが亡くなったことによって、さらに事務所の影響力が落ちる可能性がありますが、業界内での力関係や事務所内で今後どのような変化があるのか注目したいところです。
最後となりますが、メリー喜多川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。