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解離性脳動脈瘤のクモ膜下出血で倒れたジャニーさん亡くなる。ジャニーズ帝国崩壊危機と囁かれるが…

ジャニー喜多川社長がクモ膜下出血で死去。藤島ジュリー景子副社長が後継者の新体制と今後、父親失い退所者相次ぐ噂も…

ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(本名=喜多川擴、ジョン・ヒロム・キタガワ)が9日16時47分に、解離性脳動脈瘤(かいりせいのうどうみゃくりゅう)破裂によるクモ膜下出血で亡くなられたことが分かりました。87歳でした。

ジャニーズ事務所の発表によると、ジャニー喜多川社長は6月18日午前11時半ごろに自宅で体調の異変を訴え、病院に向かおうとしているところ意識を失い、救急搬送されたといい、集中治療室での懸命な救命措置によって一般病棟に移ることが出来たといいます。

<↓の画像は、2018年12月に『週刊文春』撮影のジャニー喜多川社長の写真>

その後は病院の協力もあり、ジャニーズタレント、ジャニーズJr.たちが面会を果たすことができ、「新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空間でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。」としています。

一時は危険な状態に陥ることもあったものの、タレントたちの呼び掛けや身体をさする度に危機を脱したといい、「タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し目の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。」といいます。

しかし、搬送から3週間後の7月9日16時47分に、最愛の子供達の愛に包まれながら息を引き取ったとのことです。

ジャニー喜多川社長の通夜・告別式に関しては、ジャニーズタレント、ジャニーズJr.のみが参列の家族葬とするとした上で、「これまでお世話になりました皆様にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。」と報告しています。

ジャニー喜多川社長はアメリカ・ロサンゼルス生まれで、日本仏教・高野山真言宗米国別院の僧侶であり、かつて存在したプロ野球チーム『ゴールドスター』(千葉ロッテマリーンズの前身の1つ)の監督も務めた喜多川諦道さんの次男として1931年10月に誕生し、1933年に家族で日本へ渡り、間もなくして母親が亡くなりました。

第二次世界大戦で日本が敗戦後には子供たちだけでロサンゼルスへと戻り、高校を卒業後にメリー喜多川副社長と同じ「ロサンゼルス・シティー・カレッジ(ロサンゼルス市立短期大学)」へ進学しました。

1950年に歌手・美空ひばりさんが、育ての親で俳優、歌手、コメディアンの川田晴久さんと共にロサンゼルス公演を行った際に、父親の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場だったことで、ジャニー喜多川社長はステージマネージメントを担当しました。

これが日本の芸能界に進出するきっかけとなり、1952年に再来日を果たした後に、駐日アメリカ大使館に陸軍犯罪捜査局の情報員(通訳の助手)として勤務するなどし、上智大学国際部(現・国際教養学部の前身)にも進学、卒業後の1955年にバンドを結成して芸能活動を開始しました。

1960年代前半には、少年野球チーム『ジャニーズ』でコーチを務め、同チームはプロ野球の球団や格闘家・力道山さん等に支援されていました。

その後、チームのメンバー4人を選抜して映画館で『ウェストサイドストーリー』を鑑賞し、これに一同感動したことがきっかけでエンターテインメント事業に進出することを決意、1962年4月に4人の少年で最初のグループ『ジャニーズ』(通称:初代ジャニーズ)を結成、同6月に『ジャニーズ事務所』を設立しました。

<↓の画像が、初代ジャニーズの写真>

当初は大手芸能事務所『渡辺プロダクション』と業務提携していましたが、1975年に正式に法人登記、姉のメリー喜多川副社長は事務所の経理を担当するようになりました。

こうした経緯で誕生したジャニー喜多川社長によるジャニーズ事務所はその後、フォーリーブス、郷ひろみさん、たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊などの人気アイドルを生み出し、1980年代後半にデビューした光GENJIが一世を風靡、その後はSMAPがアイドルの枠を超えた活動で国民的アイドルグループと呼ばれる存在となり、以降もTOKIO、V6、KinKi Kids、嵐など、数多くの男性アイドルグループを輩出し、日本の芸能界を代表する事務所となっています。

一代でここまで築き上げたジャニー喜多川社長は、2011年には「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネス記録に認定され、2012年には「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」にもギネス認定されています。

<↓の画像は、ギネスブック2012年版に掲載のジャニー喜多川社長の写真>

そんなジャニー喜多川社長が亡くなりネット上では、

などのコメントが寄せられており、ジャニーズ事務所の今後を心配する声が多く上がっています。

現時点で正式発表は行われていませんが、ジャニー喜多川社長が亡くなったことにより、メリー喜多川副社長の娘で、ジャニー社長の姪にあたる藤島ジュリー景子副社長が新社長に就任する見通しとされています。

また、これまでジャニー喜多川社長が手掛けてきたジャニーズJr.の育成、舞台プロデュース、新人発掘などは、昨年アイドルを引退して新関連会社『ジャニーズアイランド』の代表に就任した“タッキー”こと滝沢秀明社長が担当しており、今後は藤島ジュリー景子副社長と滝沢社長が協力し、ジャニーズ事務所を支えていく形になるとみられています。

<↓の画像は、藤島ジュリー景子副社長、ジャニーズアイランド・滝沢秀明社長の写真>

『スポーツニッポン』(スポーツニッポン)によれば、滝沢秀明社長は現在、経営面やデビュー組のマネジメントを担当の藤島ジュリー景子副社長とは密に連絡を取っているといい、「お互いに気になったことは常に連絡を取っている。ほぼ毎日会って話をしています」と明かしたとし、双頭体制を固めつつあるとのことです。

一方で、これまでジャニー喜多川社長を父親のように慕ってきたタレントの中には、今後事務所を退所する者も出てくるのではないかとみられており、その筆頭として挙げられているのは中居正広さんですが、『スポーツ報知』によると、複数のレギュラー番組を持つ中居さんが退所した場合、事務所内外に大きな影響が及ぶため、それを避けるために現状のスタイルを続けるとみられるとしています。

<↓の画像は、ジャニーズ事務所内部の組織図写真>

また、今後は急速に世代交代が進むと予想されており、来年をもって嵐がグループ活動休止となるため、昨年デビューのKing & Princeやデビューを待っている各ジャニーズJr.のユニットの露出がさらに増えていくとみられています。

ジャニー喜多川社長が亡くなったことにより、ジャニーズ事務所は今後大きな変化を迎えるだろうと予想され、ジャニーズ帝国がついに崩壊するのではないかという声も少なくありませんが、現時点では数多くの人気グループを抱えており、それぞれに多くのファンが付いていることから、そう簡単には崩壊とはならない気はします。

今後どうなるかは全て藤島ジュリー景子副社長、そして滝沢秀明社長にかかっており、新体制で新たなジャニーズ事務所をこれから作り上げていき、どういった変化があるのかなど、今後の展開を引き続き見守っていきたいですね。

ジャニー喜多川社長もあの世でタレントたちの活動を見守り続けていると思いますので、これからさらなる活躍ぶりを見せてくれることに期待したいです。

最後に、ジャニーズ喜多川社長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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