『ミス・インターナショナル2019』の日本代表で、俳優・岡田真澄さん(2006年死去 享年70)の長女・岡田朋峰さん(おかだ・ともみ 本名=鑓田朋峰 21歳)が、8月1日から芸能事務所『セント・フォース スプラウト』に所属し、芸能界入りを果たしていたことが明らかとなり、ネット上では様々な声が上がっています。
岡田朋峰さんは自身のインスタグラム上で、「この度、セント・フォースsproutに所属することになりました。未熟な私ですが、アナウンサーとして活躍できるよう日々まい進して参ります!これからもっとたくさんの方と出会い、私を知って頂けたら嬉しいです。どうか末長く見守ってください♪是非、モミちゃんと呼んでくださいね よろしくお願い致します。」
と報告しています。
<↓の画像は、父・岡田真澄さんと長女・岡田朋峰さんの写真>
2006年5月29日に食道ガンで亡くなった岡田真澄さんは、1960年に舞踏家・振付師のヨネヤマママコさん(本名=米山ママコ 85歳)と期限付きの契約結婚し、1961年に離婚。
1972年には女優・藤田みどりさん(74)と再婚し、3人の息子をもうけましたが1994年9月に離婚しました。
そして、1995年に元CAで26歳年下の一般女性・鑓田恵子さんと結婚、婿養子となり、1998年10月に長女・岡田朋峰さんが誕生しました。
<↓の画像は、岡田真澄さんの家系図写真>
岡田朋峰さんは2003年に青山学院幼稚園に入園、その後も青山学院に通い、2017年に青山学院大学国際政治経済学部国際コミュニケーション学科へ進学し、今年大学4年生になっています。
大学2年時の2018年には「2019ミス・インターナショナル日本代表選出大会」でグランプリを受賞、昨年11月にミス・インターナショナルの世界大会に出場しましたが、残念ながら入賞を逃しました。
そんな岡田朋峰さんは将来の目標について、「女性キャスターになりたい」と明かし、青山学院の先輩・滝川クリステルアナウンサーのようなキャスターを目指したいとしていました。
週刊誌『週刊女性』によると、岡田朋峰さんはミス・インターナショナルでグランプリを受賞時には、テレビ朝日でアルバイトをしていたそうで、「『報道ステーション』を担当し、番組内で新聞を配ったり、主に雑用をこなしていたそうです」
とスポーツ紙記者が明かしています。
その後、来年4月入社のキー局のアナウンサー試験も受けたそうですが、試験に全て落ちたことでセント・フォースへの所属を決めたといいます。
そして、岡田朋峰さんがフリーアナウンサーになったことに対するネット上の反応を見てみると、
- 美人だけどアナウンサー顔じゃねーな
- アナウンサーよりもモデル的な感じがするね
- 局受かったんじゃなくセントフォースか タレントやん
- どうしても岡田姓で芸能界にいたいのね。岡田真澄さんの娘という肩書きがなければ、やっていけないでしょう。
- 同じセント・フォース所属でも、キー局のアナウンサーを経験してフリーになり、その後セント・フォースに所属した人と、全てのキー局の試験に落ちて行くところがなく、セント・フォースに拾われた人では、アナウンサー力もおのずと違うでしょうね。
- 岡田真澄さんのご長男ともめてますよね。ご長男は岡田姓を名乗るのはおかしいと言っていました。なんかいろいろありそうな方だなって印象です。
- 三船美佳と同じ。母親は略奪婚でこの人も岡田姓になったことないのに、芸名にわざわざ岡田って付けるところは卑しいな〜って思う。
- 岡田真澄さんが再々婚し、岡田姓でなくなってから生まれた長女さん。
岡田姓ではないが、ミスインターナショナルの際や、芸名は岡田姓を名乗っている。
自分の力で勝負するなら、本名でも、全く別の芸名でも良いのかなあと思うのですが。 - いわくつきの不倫でできた子だろ 岡田は芸名だし、元嫁の息子が文句言ってたよな
- 今の若い世代は岡田眞澄を知らないし露出が増えれば不倫問題や家族の自殺の話が出てくる
かえってマイナスになるし、ドロドロして怖い
などの声が上がっています。
岡田朋峰さんは2018年にミス・インターナショナルの日本代表に選出された時から、このミスコンで長年司会を務めていた岡田真澄さんの長女として注目を集めていたのですが、単に有名人の親を持つ2世タレントだけでなく、実際は「鑓田」姓にも関わらず「岡田」を名乗っていることで物議を醸していました。
また、岡田朋峰さんの異母兄でプロデューサー・ラジオDJの長男・岡田眞善さん(おかだ・しんぜん 47歳)は、朋峰さんがグランプリを受賞時にツイッター上で、「まったく、僕にはどうでもいい事です。絶縁してますし、少なくとも、この彼女も一因で、僕の弟は父により自殺に追い込まれてしまったわけですから」と不穏なツイートをしていました。
岡田眞善さんがこのようなツイートをした背景には、岡田真澄さんの不倫問題があり、2番目の妻・藤田みどりさんと離婚する8年前から、3番目の妻・恵子さんと不倫交際し、1995年に再婚、1998年に長女・岡田朋峰さんが誕生しました。
『週刊新潮』によれば、岡田真澄さんは藤田みどりさんと離婚する際、「(映画を撮るにあたり)失敗したら借金を抱え、家族に迷惑がかかる。そうしないために、完全に縁を切ろう」と語り、藤田さんと離婚したそうなのですが、これは全てウソで、恵子さんと再婚するための口実だったといいます。
記事では岡田眞善さんの知人が、「離婚してから、寝静まった眞善たちの家に眞澄さんが忍びこんで、金庫から金を持っていくこともあったそうです。子供たちの学資保険や、絵画なども少しずつ持ち出していた。1年後に結婚発表を知り、ようやく騙されたとわかった」
と明かしています。
また、岡田真澄さんの三男が自殺した一因が、岡田朋峰さんにあるとしている理由については、「眞善の弟は舞台制作の仕事をしており、自殺の1年前に眞澄さんを起用した舞台を企画していました。ところが、眞澄さんは、朋峰さんの運動会が上演期間と被っていることを理由に、直前に断ったのです」
と説明しています。
他にも、三男が自殺する2日前には、家族の思い出が詰まった別荘が取り壊されたことに加えて、新たな建築計画の看板には建築主として、岡田朋峰さんの母親の名前が記載されていたことにより、三男はさらに大きなショックを受けたそうです。
そして、『週刊新潮』が岡田眞善さんにツイートの真意を聞いたところ、「彼女は、僕ら家族がどんな思いで生きて来たかは知らないはず。だから恨むつもりはありません。」と言いつつも、「父は再婚した際、岡田姓を捨てて相手の『鑓田(やりた)』という籍に養子に入ったのです。だから彼女の本名は『岡田朋峰』ではなく『鑓田朋峰』のはず。それなのに、突然、岡田を名乗って出場したのは都合がよすぎるし、エレガントとは思えません。生前の父は、自分の事は棚に上げて、テレビで離婚相談に乗っていましたが、悪い冗談にしか見えなかった。彼女は、そういった父のデリカシーのない部分を受け継いでいると思いますよ」
と語っています。
<↓の画像は、長男・岡田眞善さんの主張>
岡田眞善さんは『週刊女性』の取材にも応じ、「(ミス・インターナショナルの世界大会で)落選して当然だと思いますよ。これで選ばれたら、ミス・インターナショナルの選考基準を疑ってしまいます。彼女は配慮に欠けるし、自分の行いが他人に及ぼす影響力というものをまったく理解できていません」
と答えていました。
続けて、「僕ら一家の心をどれだけ踏みにじればいいのかという話です。都合のいいときだけ“岡田”を名乗る彼女の神経は本当に理解しかねます。彼女に岡田を名乗る資格は一切ないんですから。芸能界で活躍したいという夢があるのなら、僕がそれを止める権利はない。でも“鑓田朋峰”という名で、自分自身の実力で闘っていくべきだと思います。“子どもに罪はない”と言う人もいますが、人はある程度、宿命を背負って生まれてくるものです。それをまったく気にとめず、自分のやりたいように好き勝手生きている人は誰ひとりとしていないと思いますよ」
と訴えていました。
取材の最後には、「彼女が、なぜ岡田姓で出場することに決めたのかを、僕は本当に聞きたいんです」と語り、『週刊女性』は岡田朋峰さんの当時の所属先に岡田姓で出場した理由を聞いたところ、「ノーコメントです」との回答だったとしています。
このように岡田朋峰さんは異母兄から岡田姓の使用を非難されながらも、名前を変えることなく新たにセント・フォースに所属し、それによってネット上でも厳しい声が多く上がっている状況にあります。
あえて岡田姓を名乗るからには異母兄等から非難されるのも仕方がないと思いますし、岡田眞善さんが怒りの声を上げても本名を使わないということは、非難されるのも覚悟の上ということなのでしょう。
こうしたトラブルが表沙汰になることでイメージが悪化し、今後の活動にも悪影響が及びそうな気がしますが、果たして今後フリーアナウンサーとして活躍の場を拡げていくことはできるでしょうかね…。