元プロ野球選手・盛田幸妃が病気により45歳で死去。横浜大洋と近鉄で活躍し脳腫瘍から奇跡の復活も、転移を繰り返し帰らぬ人に

スポーツ 訃報
  • 0

盛田幸妃

プロ野球「横浜大洋ホエールズ」(現:横浜DeNAベイスターズ)、「近鉄バファローズ」(大阪近鉄バファローズ)で投手として活躍した元プロ野球選手で、引退後にはTBSとHBC(北海道放送)で野球解説者を務めていた盛田幸妃さん(もりた・こうき)が、45歳の若さで亡くなられたことが分かりました。

病気のため亡くなられたと発表されているものの、詳細は明らかにされていないのですが、盛田さんは1998年にゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり、同9月に摘出手術を受けており、その後2005年夏に脳腫瘍が再発して2006年2月に除去手術を受けて成功。

しかし、その後も再発を繰り返し、さらに骨への転移も繰り返すようになり、2014年春には大腿骨を骨折するような状況にありました。

盛田さんは1987年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから1位指名を受けて入団し、ルーキーイヤーの1988年から1軍で登板。
切れ味の鋭いシュートを武器にセットアッパーとして活躍しました。

“ハマの大魔神”こと佐々木主浩さんと共に「ダブルストッパー」と呼ばれており、1992年には最優秀防御率のタイトルを獲得。
同年のオールスターゲームに監督推薦で初出場しました。

その後1998年に近鉄バファローズに移籍しましたが、同5月末頃から体調が悪化して8月に一軍登録抹消となり、病院で検査の結果、脳腫瘍が見つかり摘出手術を受けました。

右手に麻痺が残る後遺症があったもののリハビリによって克服し、驚異的な回復力で1999年8月には2軍戦登板できるようになり、同年シーズン最終戦で1軍復帰。

盛田幸妃が近鉄時代の写真

そして、2001年には34試合に登板して2勝を挙げ、近鉄の12年ぶりのリーグ優勝に貢献し、オールスターゲームにも中継ぎ投手部門でファン投票1位で選ばれ、カムバック賞を受賞。

この復活劇から「奇跡のリリーバー」とも呼ばれていましたが、翌2002年に現役を引退。
盛田さんは1998年~2002年前の14年間に345試合に登板し、通算成績は47勝34敗29セーブ。

この訃報に対してネット上では、

  • マジか…まだまだ若いのにな。ご冥福をお祈り致します。
  • 完治したうえで復活したのだとばかり……あのオールスタ-での復活、清原との勝負が今も記憶に鮮明に残っています……心よりご冥福お祈り申し上げます
  • 横浜ファンだが本当に凄い投手だった。7回に勝ってる時に出てきた時はもう、勝ち試合だった。ゆっくりと休んで下さい
  • 最近はテレビ解説での姿もなく心配していた。盛田、佐々木の継投は最高だった。
    近鉄に移籍した98年の「横浜日本一」は一緒に喜んでくれたと思う。ただただ残念。
  • 高校時代から見ていましたが、ストレートの良い投手でしたなぁ…。プロで活躍し始めた時も、そりゃ、当然だよなって思った記憶がある。普通ならば、横浜のコーチをしていただろうに…。合掌

などのコメントが寄せられていました。

また、今シーズン限りで現役を引退した元チームメイトの斎藤隆さんが楽天を通じて追悼コメントを寄せており、「非常に残念です。彼とは同い年ですが、よき友であり、よきライバルでした。あのえぐるようなシュートは今でも鮮明に覚えていますし、投手としての能力が高く、何よりもマウンド度胸が凄かった。私も沢山のことを学ばせてもらいましたし、参考にさせてもらいました。彼がそれまでブルペンを支えてくれて、沢山のものを残してくれたからこそ1998年の横浜ベイスターズ日本一があったと思います。その優勝の喜びを一緒に味わえなかったことは心残りですが、あまりにも若すぎます。心よりお悔やみ申し上げます」と、盛田さんの死を悼んでいます。

森田さんのブログを見てみると昨年4月から更新が止まっており、最後に更新した記事では右足の付け根が突然骨折して最高に痛かったと報告をしているのですが、病気がかなり進行してしまっており、身体はボロボロの状態で入退院を繰り返していたようですね…。

盛田さんは45歳と非常に若く、現役引退後には野球解説者として活躍しており、まだまだこれからの方だっただけに非常に残念です。

盛田幸妃さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

コメントを残す

前の記事次の記事
芸トピの最新ニュースをお届け!